(2015年9月24日の投稿の再アップ。
一年経って殆ど同じような感じに戻ったので ww)


私の世界は私しかいませんし 
これは almost =(equal) 全てが私 です。
だから私は 「私の」世界の支配者です。




そして これは皆さんにとってもそうです。




私がこの世に何をしにきたか・・・・
楽しむため?他人を救うため=自分を救うため?

いいえ

生の美しさを堪能しに来ました。
何も出来ない自分、というルールをうけいれて
どこまで生(せい)を楽しめるか






昨日 ちょっと私の心の奥に触れる出来事がありました。


一瞬 気付かないフリをして横に置いたのですが
再度取り出して
ずーーーーっと考えていました。




結論
私は自分の選択でしか 生きられません。
私の世界に 正しいも 正しくないも 
存在しないことを知っているから。
苦しもうが 簡単に到達してしまおうが
正しくないから 苦しむ わけではない。
正しいから 成功する わけではない。


私は私の世界の支配者だから
どの時点を「結論とするところ」か 決められる。
つまり今成功と思えなくても 未来に結果の取れる成功となる今ならイイ。
私の世界の支配者だから
様々な素晴らしさをもった沢山の人を 私の人生に受け入れる。
(けど、保持し続けるかどうかは別。)



「私が スゴイとおもうひと」と生きると決めたから。




多分 なかには私の感激や感動が分からない人がいるでしょう
でもいいんですよ。



私が ターナーの絵が好きだといって 分からない人がいても
だれも「大英博物館に見に行くな」とは言えない。
「近所の美術館に展覧会が来たときに行けばいいのに」なんて
私の価値観からの言葉じゃないから 気にもならない。




私はオキーフの絵に 「不安」と どうしようも無く惹かれるものを感じるから、と
寝室の壁に飾っていますが
「良くないよ、それ」と言ってくれる人がいても
私は壁の絵を変えない。
(それがオットで、相当に嫌がられたら考えますが
 それをいわないオットを選んでおります)



感動ポイントなんてみんな違う。
でもいいのです。
それぞれのヒトの世界で その人だけが決定権があるから。





その異なる意見を アドバイスとして 思いやりとして
他人に伝えたくなるのはOKです。
Add-on(付け加える)意見は私は大歓迎。
私にない なにかがあるなら 喜んで受け取ります。
大事に仕舞い続けるかどうかは、別のことですけどね。




私は私の選択権を誰にも渡しません。





私は好きな絵画を手許におきます。
好きな音楽を聴きます。
好きな所へ行き
好きなひとたちと語らう。
すきなだけ 一人で居て
すきなだけ 家族といます。
すきなだけ 旅をします。


気になれば勉強もするし
気になれば回り道もする


私の世界に加えるものを紹介されたら
喜んで取り入れます。
ええ、いくらでも。


でも 私が取り入れたモノを
手放せとか こちらへ動かしたほうがいいとか
それは あなたの選ぶモノでは無いので 私にチャレンジしないで下さい。

そぎ落とす部分を決めるのは私です。
そぎ落とした方がいいよ、は 私の世界から可能性を奪うだけ なのですよ



龍をつけるのも 似合う似合わないではない。
相応しい 相応しくない ではない。
欲しかったんです。
うちの猫たちのように。


その話を記録するのも
私なりのチャレンジをみつけたからで




「正しいことが存在しない」世界では 間違いようがないのです。