自分の信じる正しさを
他人に伝える事は勇気が要る。
自分なりに皆 調べ 注意をしながら
書いているのだと思いたい。が。
素晴らしいコラムをみつけた。
医療と健康の周りには
まやかしの「専門家」がよくいる。
名乗れないクセに偉そうなウソを世の中に広める。
この記事で中村先生が仰る通り
「専門家というなら名乗ってみろ!」だ。
私が代替医療や統合医療に関して
滅多にクチを開かない理由は
勉強してもしても 辿りつく根拠が曖昧すぎるから。
これで 理論で出来上がった西洋医学を否定するのは
ただ感情で非難しているとしかとれなくなる。
どれくらい理論体系が甘いか
しっかり勉強してもそれが見えないなら
対称となるグループをまず勉強してみればいい。
ちなみに私は代替医療・東洋医学などの信奉者だ。
根拠が甘いという判断と
自分に使わないという判断は別次元にある。
それを理解出来ないヒトがたくさんいるが。
専門家がすごいのではない。
いろんな事を考えた上で 自分の出来ることをみつめ
それを極め それでも謙虚に自分の持つのは選択肢の1つだ、と言える
そういうひとがすごいんだ。
私は医療系ドラマが基本的にキライだ。
原作がしっかりしていない限り
監修している医者のバカさが現れているから。
バカすぎて現場にいられなかったから
ドラマの監修をしているとしか思えない。
(もちろん、「見るヒトは面白おかしいのを欲してる」とか
言われもするんだろうけどさ。
そこでプライド捨てますか?ってはなし)
はい、バカは大嫌いです。
全ての状況に簡単な解釈しかつけられない
深みも 人間としての葛藤もなにもない
その状況で 他人を批判するひとの 何と多いことか。
正しい とはなにか
それを真摯に考えた事がなければ
正しさには様々な面があるということを
その狭間の いやな耳障りな音を
敢えて聞いたことのなければ
人間は簡単に「正論」を振りかざす。
自分を信じる、自分の判断の根拠を探る、ということは
どこまでも自分を疑ってみた先にしかない。
色々なことを知り ココロの機微を知り
深めてみて 再度 大海を眺める
自分が立っているのが
船の上か 砂浜か
しっかりした大地の上か 山の上か
確認していかねば 実は何も見えない。
見える事がすごいことではない。
分かることが正しい訳ではない。
自分が見ているモノがいかにちっぽけで
それでも その自分が感じるモノも真実のひとつで
どこまでなら普遍的にいえるか
どこからは 自分の感情の可能性があるか
いつも気付く自分で居たい。
いつも自分の見ているモノが氷山の一角でしかないことを
忘れないようにしたい。
他人に伝える事は勇気が要る。
自分なりに皆 調べ 注意をしながら
書いているのだと思いたい。が。
素晴らしいコラムをみつけた。
生体肝移植報道に見るメディアの愚
(中村祐輔のシカゴ便り より)医療と健康の周りには
まやかしの「専門家」がよくいる。
名乗れないクセに偉そうなウソを世の中に広める。
この記事で中村先生が仰る通り
「専門家というなら名乗ってみろ!」だ。
私が代替医療や統合医療に関して
滅多にクチを開かない理由は
勉強してもしても 辿りつく根拠が曖昧すぎるから。
これで 理論で出来上がった西洋医学を否定するのは
ただ感情で非難しているとしかとれなくなる。
どれくらい理論体系が甘いか
しっかり勉強してもそれが見えないなら
対称となるグループをまず勉強してみればいい。
ちなみに私は代替医療・東洋医学などの信奉者だ。
根拠が甘いという判断と
自分に使わないという判断は別次元にある。
それを理解出来ないヒトがたくさんいるが。
専門家がすごいのではない。
いろんな事を考えた上で 自分の出来ることをみつめ
それを極め それでも謙虚に自分の持つのは選択肢の1つだ、と言える
そういうひとがすごいんだ。
私は医療系ドラマが基本的にキライだ。
原作がしっかりしていない限り
監修している医者のバカさが現れているから。
バカすぎて現場にいられなかったから
ドラマの監修をしているとしか思えない。
(もちろん、「見るヒトは面白おかしいのを欲してる」とか
言われもするんだろうけどさ。
そこでプライド捨てますか?ってはなし)
はい、バカは大嫌いです。
全ての状況に簡単な解釈しかつけられない
深みも 人間としての葛藤もなにもない
その状況で 他人を批判するひとの 何と多いことか。
正しい とはなにか
それを真摯に考えた事がなければ
正しさには様々な面があるということを
その狭間の いやな耳障りな音を
敢えて聞いたことのなければ
人間は簡単に「正論」を振りかざす。
自分を信じる、自分の判断の根拠を探る、ということは
どこまでも自分を疑ってみた先にしかない。
色々なことを知り ココロの機微を知り
深めてみて 再度 大海を眺める
自分が立っているのが
船の上か 砂浜か
しっかりした大地の上か 山の上か
確認していかねば 実は何も見えない。
見える事がすごいことではない。
分かることが正しい訳ではない。
自分が見ているモノがいかにちっぽけで
それでも その自分が感じるモノも真実のひとつで
どこまでなら普遍的にいえるか
どこからは 自分の感情の可能性があるか
いつも気付く自分で居たい。
いつも自分の見ているモノが氷山の一角でしかないことを
忘れないようにしたい。

