子供が書いた絵。ざくざくに切った紙が笑える:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
上手じゃないけど なんとなくこの大胆さが好きで、額にいれようかなと思ってます。
上手じゃなくていいんだよね、絵なんて。
感じたことを描けるようになったら一流。それまでは好きに描きなさい、って言ってる。

$アメリカ田舎生活ノート 番外編


子供には いつも100点をとらなくてもいいと言ってる。
でもそれは「出来て当たり前なこと」を平気な顔して間違えてくるのとは意味は違う。


だから小学生の勉強で分からない、だなんてことは許しません。
本当に分からない領域になったら 何も言わないけれど。
 そこでの努力の仕方は彼ら自身で見つけること。
日本語の読み書き、会話が 遅れることは仕方ないけど まだ諦めるのは許しません。
 きっと 得るモノはあるはずだから。

厳しいとか 多くを要求しているつもりはないんです。
でも 子供は「自分の出来ること」が何かを知っている
子供の知らないのは 「自分がどこから出来ないか」「どこから助けがいるか」
そして 「世の中には すごい というひとが 沢山いる」ということ
それらが見えるところまで連れて行ってあげるのが親だと思う。

アメリカにいると
褒めることを 当たり前の子育て法として見ます。

褒めて育てる。それも良いことだと思うけど

私は なのだけれど
 子供の頃 当たり前にできることを褒められても別に嬉しくなかった
そんなこと 出来ないと思われていることの裏返し?なんて思って
愛想笑いをしたりした
自分が日々 ヒトより練習(努力の範疇には無かった)していることで
自分では 特に大きな進歩を遂げたなんて思っていないのに
ただその地域でいつも一番と言うだけで
ヒトに褒められる理由が分からなかった

 (嫌な子供ね~ 笑)
今おもえば そういう環境に置いてくれた 母がいたからだと気付く。

私は 子供を褒めることはあまりしません。
思いっきり大事にしてあげているけれど(私的には)
べたべた可愛いよ、とは出来ない性格なので。

けれど 「私が今の彼らの能力と思うところ」以上のことを 彼らがやり遂げたときは
べた褒めです。
子供に嫌がられるまで ぎゅっとして 髪をぐちゃぐちゃにしながら頭を撫でます。
私達が 彼らの能力をバカにしているわけではないって 知って欲しいからです。
認めているから 褒めないんだ って知って欲しいからです。
出来て当たり前のことと 努力したことは違うんだ って。


・・・なんか、どっかの親方のようですね 爆笑



一応 人前では優等生のうちの子供を 私が叱り飛ばすと
周りの子供は怯えてます (^_^;)
周りの親は 眉をひそめます

でも 「よい子」だったら何をしてもいいわけじゃない
いつだって周りのこともみて 全体を考えて欲しい 
「私、私」「僕、僕」 にはならないで欲しい

良い点をとったから ご褒美? 私は違うと思う
ブロとものお一人が 昔書かれていたことがあります
「学校に寄付を持っていったらご褒美、は違うのでは?」
全く同感だ。

子供は 自分の能力を知ってる
自分の環境で 出来ることを知ってる
能力内で あるいは状況が許す範囲で出来ても 当たり前だ
そしてその結果は 決して彼らが一人で出来たことじゃないことが殆どだ


優しい気持ち 頑張る気持ち 一歩踏み出す勇気
それは べた褒め対象ですが。


多分 厳しい、っていうのとは言葉が違うのではないかと思っています。
難しいことを要求しているのかもしれない

でも彼らには 少しでも早く「努力なしには 出来ないこと」があるって知って欲しい
そして「努力しても 追いつけない能力をもった人達がいること」も
その時初めて 他人の努力の価値が分かるのだと思うから
自分のした努力を 「努力だ」と自分で認めることも
たとえ負けても 笑顔になれることも 知ることが出来るから。


・・・って、他人に全部説明は出来ないんですよ(する気もないけど)、いつも。
言葉足らずでね。
だからやっぱり、一般的には

「こわいかーちゃん」

なんです、私。