昨日は本当に心臓が止まるかと思うような出来事がありました。
娘が家の周りで遊んでると思いきや、いつの間にか道路に出ていたのです


幸い通りかかった女性に保護されていましたが、もし車に轢かれていたかもしれない、と思うと胸が引き裂かれそうに苦しくなります。
私がどうして一緒にいなかったか、と言うと娘に外遊びは道路に出られない事を確認してから、いつも一人で遊んでもらっていたからです。
これには理由があり、一緒にいるとついつい娘のやる事に口出し手出し、お互いものすごく険悪な雰囲気になるのでそれなら、思いっきり一人で遊んでもらおう、と思ったのがきっかけでした。
これをしてから、娘は外で思う存分走り回り、触りたいものに触れ、水たまりでは思いっきりジャンプをし、帰ってくるといつも泥だらけかそうでなくても汚れて帰って来ました。
なので昨日もきっと大丈夫だろう、と思った矢先娘の気配がない事、いつも塞いである道に少しばかりの隙間がある事に気付き、急いで探しに行きました。
女性に保護された娘は泣いていて、でも怪我もなくホッとしたのもつかの間、保護して下さった女性からのものすごい非難の目、娘に申し訳ない気持ちと凄まじい自己嫌悪に苛まれました。
あぁ私は母親失格だな、と。
子供の命をこんな簡単に危険に晒してしまった後悔。
そして、自分にとって最もきつかったのが自分のエゴに気付いた瞬間。
私は、娘を失うかもしれないこんな場面でさえ自分を守ろうとしていた事実。
「他人にダメな母親だと思われたくない、親戚に軽蔑される、近所中にこの話が回ったら誰にも合わせる顔がない。」
など、自分の事しか考えない至極自己中な思考に支配されていました。
だから、当然この出来事を通して真に受け取らなければいけない事にも気付かず、後悔と罪悪感の中で娘を抱きしめながら眠りました。
そして、起きてから昨日の事について考えてみました。
まず、私は二度と同じ事が起こらないための対策を考えなければいけない。
そして、もう無駄に自分を責め続けて悲劇を装うのを辞めなければいけない。
それは結局逃げだから。
今ある現実をただそのままに見つめてみる。
娘は今日も元気に走り回っている。
娘に危険が及んだ時、見ず知らずの人が娘の命を守ってくれた。
私が今しなければいけない事は、こんなにも与えられた愛をただただ受け入れる事、感謝する事。
そして、この愛を循環させる事。
私一人で娘を育んでいるのではない、家族、友人、近所の人、自然の恵み、見えない力によってこの子は生かされている。
それは私も誰もが同じ事。
それなら、私に出来る事は怒り、悲しみ、恨みを排除し、愛と感謝の心を常に持ち続ける事だけ。
やっぱりそれだけ。
だから、私はこれから誰かが過ちを犯しても絶対に大丈夫だと伝える。
ただただ、穏やかにあるがままを受け入れて生きていけば良いんだと。
辛くてどうしようもない時は、外に出て風の音を聴き、空の美しさに癒され、木の逞しさに包まれて、そんな地球に感謝し愛しながら生きていきたい。
それでも辛い時は、やっぱりドリーム先生のブログですね。笑
何だかドリーム先生シックな今日この頃です