強い言葉にフリーズして、

頭の中でぐるぐると

不安を再生し続けたあの日。




私はようやく、ひとつの作業を始めた。

それは、

感情と事実を引き離すこと



まずは、事実だけを書き出してみた。



・私は説明をした
・他に聞いていた人は理解していた
・大ごとにはなっていない
・怒っている人はいない
・丸く収まっている



ここまでが、事実。



そこに後からくっついていたのは、

・私は嫌われたかもしれない
・言いつけたと思われているかもしれない
・面倒くさいと思われているかもしれない
・弁解している人だと思われているかもしれない




これは、私の「想像」。



同じ出来事なのに、
事実と想像が絡まり合うと、

こんなにも苦しくなるのかと驚いた。



私は、上司からもらった言葉を

もう一度読み返した。



そこには、怒りも、突き放しもなかった。
むしろ、「次に生かせばいい」

という前向きな視点と、

具体的なアドバイスがあった。



忙しく、休みなく動いている人なのに、
時間を使って話を聞いてくれた。

状況を整理してくれた。

私はそのことをちゃんと理解していたし、

感謝も伝えていた。



それなのに私は、
「どう思われているか」

勝手に不安に変換していた。



嫌がられていないか。
面倒くさがられていないか。




でも、事実を見ると——

時間を使ってくれた。
言葉を選んでくれた。
未来の話をしてくれた。



それは少なくとも、
「どうでもいい存在」への態度ではない。



私はようやく気づいた。





私は出来事に傷ついたというより、


“想像の中の評価”に怯えていた

のだと。




(これは過去の経験による傷が大きい。)



感情は大事にする。
でも、事実もちゃんと見る。



その作業は少し冷静で、

少し勇気がいるけれど、
自分をこれ以上裁かないための、

大切な時間だった。



もしかしたら私は、
完璧でいようとしすぎていたのかもしれない。



でも、完璧じゃなくても、
丁寧に向き合えば、

ちゃんと受け止めてもらえる。



そう思えたことが、

今回の一番の収穫だった。



私はまだ揺れる。
でも、揺れながら、

事実を見つめる力を少しずつ育てている。




それで、いい。