「いらっしゃいませー!」
と満面の笑みで迎えながら、
心の中では「頼むから閉店間際に来ないでくれ、
早く帰れ」と睨みつけている。
こんな自分の性格の悪さまで書かなくていいのに
書いてしまう理由がある。
世間では私のことを
「ハッキリものを言う人」とか
「メンタルが強い人」だと思っている節が
あるかもしれないけれど、
それは大きな誤解だ。
本当の私は、石橋を叩いて、叩き割って、
「やっぱり壊れたから渡るのやめよう」
と帰宅するくらいのビビリだ。
平和主義者だし、争いごとは嫌いだし、
できれば全人類と「あはは、うふふ」
とお花畑でスキップしていたい。
「すごいね!」
「わかる~!」
「そのままでいいよ!」
そう言って、相手を肯定するだけの
全肯定人間でいられたら、どれだけ楽だろうか。
実際、どうでもいい相手にはそうしている。
私が直感的に合わないと判断して
心のシャッターを固く閉ざした相手や、
自分のことばかりで、
時間、エネルギーを奪おうとしてくる人、
これまでの職場で出会った
その場限りのお客さん。
彼らがどんなに間違った道に進もうとしていても、
私の時間を削って話しかけてきても、
私は笑顔で「へえ、楽しそうだね!」「すごいですね!」
と相槌を打つ。
「早く話終わらないかな」
「私の時給発生してないんだけどな」
と心の中はそれでいっぱい。
冷たいよなーと思う。
でも、これが「大人のお付き合い」というやつ。
波風を立てず、相手の気分を害さず、
その場の空気を綺麗に保つ。
それは優しさに見えるかもしれないけれど、
本当はただの無関心。
相手の人生に責任を持つつもりがないから、
耳触りのいい言葉でコーティングして、
右から左へと流すことができる。
けれど、相手が私のお客さんや、
心から大切に思っている人だと、
話は別になる。
これまでも執筆の仕事をしていてよくあるのが、
自分の成功した部分や、綺麗な結論だけを
見せたくなってしまうこと。
「苦労しましたが、今はこんなに幸せです」
「努力の結果、こんな実績が出ました」
もちろん、それは素晴らしいことだ。
でも、私が本当に惹かれるのは、そこじゃない。
私が書きたいのは、
その輝かしい結果の裏にある、
今のその人からは想像もできないほどの努力や、
情けなくて、誰にも知られたくない恥ずかしい部分、
あんな過去、無かったことにしたくなるほどの
やらかした経験、
表では見せていない、本当の想いの
「背景」の方だ。
誰かが何かをしてくれた時、
その行動という結果も嬉しいけれど、
もっと嬉しいのはその「背景」を知った時。
「お世話になっているからプレゼントしたかった」
という想い、
「何が欲しいか分からなくて、
店員さんと1時間も相談してたらしいよ」とか、
「忙しい時間の合間を縫ってでも会いたい」
と思ってくれている気持ち。
そのプロセスや、
相手を想ってくれている時間こそが、愛おしい。
人間も同じで。
思うような人間になれなくて
夜中に一人で泣いたこと。
カッコつけて挑戦したのに、
派手に失敗して恥をかいたこと。
嫉妬に狂って、
ありもしない悪口を言いたくなってしまったこと。
本人は、葬り去りたいほど隠したい恥だと思っている
その「背景」にこそ、その人らしさが溢れてくる。
そこにこそ、誰かの心を震わせる
希望になる。
私はそう信じている。
だから私は、お客さんの原稿を書く時、
あえてその触れられたくない部分に光を当てる。
「綺麗にまとめようとしないで。
その時の、感情を教えてほしい」
そう迫る私は、もしかしたら
悪魔に見えるかもしれない。
めちゃくちゃ心を
エグっていることもわかっているから。
それを知りながら聞く私も
苦しくなる。
けど、そのプロセスが
めちゃくちゃ大事だから
私も諦めずに質問をする。
相手の表情が雲っていくと
たまにビビって話を止めてしまうこともあるけど笑
完成した原稿を相手に送る時、
今から何百人の前で演説しますってくらい
ものすごく緊張する。
相手が一番言われたくない、
でも今絶対に書かなきゃいけない
真実が並んでいるからだ。
これを送ったら、もう二度と
この人とは笑い合えないかもしれない。
こんな風に思っていたなんてひどい!
味方だと思っていたのに! と拒絶されるかもしれない。
そんな恐怖が、私の心臓を締め上げる。
当たり障りのない、
綺麗な言葉でまとめることだってできる。
「あなたは素敵です」「頑張りましたね」
と書いておけば、相手はすぐに喜んでくれるだろうし、
私も嫌われない。
リスクゼロで、平和な世界だ。
でも、それをしたら、私は私を許せなくなってしまうし、
私がやる必要も無くなってしまう。
相手の人生の背景を知ってしまった以上、
上辺だけの言葉でサラッと流しておくことは、
その人のこれまでの経験や、
積み重ねてきたモノに対して
軽く見ている気がしてしまうから。
「今のあなたは素晴らしい」と言うのは簡単。
でも、「あんなに最低で、
あんなに弱かった過去のあなたも、
最高に美しかったよ」と伝えること。
それができるのは、
深く関わり、その人の影まで
愛そうと決めた私しかいないと思っている。
なぜ私が、そこまでして
「影」や「背景」にこだわるのか。
それは私自身が、
自分の性格の悪さや、弱い部分、
嫌われてしまうんじゃないかと思っていたことを
晒け出したことで、私が救われた経験があるからだ。
昔の私は、いい人だと思われたくて必死だった。
誰にでも優しく、清廉潔白で、
ポジティブな自分を演じていた。
でも、演じれば演じるほど、
心の中は息苦しくなり、
誰にも本音を言えなくて、
人は周りにたくさんいるはずなのに
孤独だった。
ある日、恐れながら
自分の内側にある
隠しておきたかったことや汚い感情を、
そのまま文章にして出した。
「離婚に至った背景」
「職場の人間関係に対する本音」
「接客中に早く帰れと思っている」
「人の幸せを素直に喜べない時がある」
そんな、最低な本音だ。
人は離れていくと思った。
軽蔑されると思った。
でも、返ってきたのは意外な言葉だった。
「そんな風に思っていいんだ!って安心した」
「綺麗な言葉より、今の言葉の方が人間らしくて
ずっと信用できる」
「視点が面白い」
拍子抜けした。
私が隠したかった最低な部分は、
誰かにとっての安心であり
信頼の証だったのだ。
結果や結論だけじゃなく、
葛藤している背景を見せることで、
人は初めてその人を人間として興味を持ってくれて
好きになってくれる。
だから私は、しっかり聞いて掘って書きたいのだ。
隠そうとしている、
その不器用なこれまでの足跡。
成功できなかった挫折。
誰かを傷つけてしまった後悔。
辛くもなるだろうし、
嫌な気分になるだろうし、
悲しくもなるだろうし、
私に怒りをぶつけたくなるかもしれない。
でもそれは、私があなたのことを
「どうでもいい」と思っているからじゃない。
むしろ逆で。
あなたのことが大好きで、
あなたの人生の背景まで含めて
丸ごと肯定したくて、
震えながら言葉を紡いでいる。
どうでもいい人には、
私は最高の笑顔で「いいね!」しか言わない。
だから、もし私が真剣な顔で、
ちょっと痛いところを突き始めたら、
私もそれくらい真剣にあなたと同じレベルで
伝えたいと思っているのだと思ってほしい。
「愛があれば、すべてを美しく書ける」
と思う人もいるかもしれない。
けど私の愛はちょっと違う。
愛があるからこそ、隠しておきたい真実も書く。
深く関わっていけるからこそできること。
あなたを信頼しているからできること。
私はそう思っている。
まあ、そうは言っても。
キツい、しんどいと言われることもあるし
思われているだろうけど。
それでも私はいつだってストレートで、
ちょっとだけ辛口だ。
本質を見抜き、
そこにグサッと刺してしまうから
怖がられてしまうけど。
それでも私は、こうやってじゃないと
いいものが作れないから、
私も一緒に葛藤している。
それもひっくるめて結局楽しい。
■メルマガ「箸が転んでも」■
SNSの華やかな表面だけでは伝えきれない
「言葉の裏側」や、
私が日々クライアントの本質に潜り、
磨き上げている思考のプロセスや、
ちゃんとしていない私を曝け出している姿を
メルマガで赤裸々に綴っています。







