したいことがいっぱいあったとすると、時間の使い方が課題になります。
けれど、私の価値観においては『忙しい』はあまり美しい状態と思えていなくて、どれほどしたいことや好きなことがいっぱいあったとしても、”うまく全部が流れの中にはまっているんだ(流れの中に流れるようにはまっていたら今が充実しているという体感の連続なだけだと思うから)”ということが可能だと信じています。
極論だけど、手帳に予定がいっぱいはもともと好みではなく、むしろ手帳も持ちたくないというタイプの人間だったから、今は自分で仕事をする上で、現実的に予定を書きこんでおかなきゃ絶対にミスってヤバイから書いているけど、書いてなくても全部自然の動きの中で合ってくる(自然に思い出してそう動いてる)くらいになれたらなりたいものです。
暇を推奨しているわけではなく、たとえ仕事で、もしもめちゃくちゃ充実していたとしても、『忙しい』と思わないことは極めると可能なんじゃないかと。今は自分にとっての理想論だけど、それでも、『忙しい』なんて書いてその字の通り、何も褒められることないわ、美しくないじゃないかって思っています。
上記したことは、私にはまだ理想論で極めれてはないから、実際「忙しそう」って人にいっぱい言われますw
けれど、私の価値観においては『忙しい』はあまり美しい状態と思えていなくて、どれほどしたいことや好きなことがいっぱいあったとしても、”うまく全部が流れの中にはまっているんだ(流れの中に流れるようにはまっていたら今が充実しているという体感の連続なだけだと思うから)”ということが可能だと信じています。
極論だけど、手帳に予定がいっぱいはもともと好みではなく、むしろ手帳も持ちたくないというタイプの人間だったから、今は自分で仕事をする上で、現実的に予定を書きこんでおかなきゃ絶対にミスってヤバイから書いているけど、書いてなくても全部自然の動きの中で合ってくる(自然に思い出してそう動いてる)くらいになれたらなりたいものです。
暇を推奨しているわけではなく、たとえ仕事で、もしもめちゃくちゃ充実していたとしても、『忙しい』と思わないことは極めると可能なんじゃないかと。今は自分にとっての理想論だけど、それでも、『忙しい』なんて書いてその字の通り、何も褒められることないわ、美しくないじゃないかって思っています。
上記したことは、私にはまだ理想論で極めれてはないから、実際「忙しそう」って人にいっぱい言われますw
「それでも私にはやりたいことがあり、頑張りたいことがある」そう思えること自体は、幸せだと思っていて、「たぶんやりたいこといっぱいで、実際にいっぱいしてるから忙しい!」は、今は一旦開き直っています。
「やりたいことがあっていいなぁ」って中学生くらいから友人などに言われていて、その言葉を聞くと少しだけ胸がキュッとなっていました。
「やりたいことがない」ということが不幸だとは思っていません。けれど、そう私に今まで言った人たちのその響きに何か切なさがあって。本当にどっちでもよければ、「いいなぁ」とも言わないように思うし。
きっと本当は人にはそういうもの(これがしたいとかあれがしたいとか)が誰にでもあるんだと私は感じているけれど、無意識にでも本当の自分をどこか抑え続けている間や、抑え続けてきた期間が長いと、そういうものが自然に湧いてくるまでに時間がかかるのだと感じてもいるからだと思います。
私は中学生か高校生か、将来の進路についてこんな風に考えていました。
だぶん中学生の頃、福祉関係か、芸大に行きたいと思っていました。
それで、福祉関係というか、人の話をじっくり聴くことに心が惹かれてると気づいたことがあり、福祉関係か、心理関係か、芸大という3つが浮かぶようになり、芸術は趣味でもできそうだし、、、芸大出て何をするのだ?と思ったりもしたのか(たぶん、自分がその分野で仕事をしていることが想像できなかった)、福祉関係か、心理関係と絞られました。
この流れがそのまま進んでいって、大学では福祉関係の学科を2年、編入して心理関係の学科を2年という流れになりました。結果的にその中でのジャンルが絞られなかったため、ボランティアも含めると、児童から高齢者までのあらゆる年齢へ経験としてはその機会を得れることになり、障がいの分野も身体、知的、精神の全ての分野を経験することになりました。
と言っても、さしたる専門性も養えてはないし、勉強不足も甚だしいと思うし、やってきたことはよかったなと思うけど、自分はいつだって豆粒のような存在だなと思っているところは常にあります。
それでも、ずっとこれらの分野に関心があり、こういうことができればいいなぁ・・とか、こんな世界になればいいなぁ・・とか、思いだけは消えることなく、自分の人生の自分のことで紆余曲折あって、なんだかんだとそれなりに向き合っているうちに、仕事としては個人事業主の形で、「人の話を聴いて、ともにそれを観て考える」という仕事になりました。ツールとしてはまさかの「禅のタロット」を使ったり教えたりしている・・・ということが、十代のそんなことを考えていた自分からすると、驚きの人生の展開のようにも思います。
でも、あんなことにもこんなことにも関心があり、児童から高齢者まで自分の中では分け隔てて”ここ”って感覚自体がないため、こういうことができたら素敵だろうなぁっていろいろ湧いてくる・・・けれど、そんなの全部やれるわけなく、やりたいこと全部やってたら人生何回生きなあかんのかって思うこともありました。
それが、Starlight Commune をもともとそのつもりであったけれど、クミ子さんに活動の積み重ねの更新自体を任せた時に「こういう叶い方があったのか」って思ったり、旦那さんであるこーちゃんの社会福祉における専門的な活動を裏方で手伝うということが起きてきたり、前に出るのはこーちゃんであっても、一緒に活動していくという取り組み方が生まれて、進んでくる中で、「こんな風にしたかったことが叶っていくのか!」が、驚きとともに感慨深いです。
一般的な今までの私の理解としては、人に手伝ったもらうことで、複数の自分のプロジェクトが進むということは、理解のうちにあったけれど、私の思いと一致している何かを、他者が主体となって動くことで叶っていく感じ?!これだったら、一つの人生で、無数にしたいことを叶えていくことができる!なんか斬新!!と思って、やや感動しています。他者が他者の人生を情熱をもって全うしようとする中で、私の夢が自然に叶うのか!みたいな。
他者が私の個我の考えや夢を叶えるわけではないから(私ではない他者が主体となっている活動だから当たり前だけど)、少し広めの意味で、でも深いところでは一致しているところをハートに持って描いている自分がこうあればいいなと思う世界観を叶えていくことを、協力関係で実現していくという取り組み方になります。
もちろん、そのためには、すごく自分が柔軟になる必要があることを学んでいるし、自分がそもそもどういう世界を描いているのか、ともに取り組んでいる人たちはどういう世界を描いているのか、どういう状態であるのか、見守ること、待つこと、信頼すること、自分自身は自分のことに常に取り組んでいること、などなどが同時に働ていることがきっと必須なんだろうと思います。報酬はもちろん、「思い描いている、こうなればいいなぁというものに対して何かしら動くことができ、叶えていくこと」ということのみをモチベーションにできる必要があります。
私が、私の仕事をしている時間でも、同時に他者が私の夢を叶えてくれてもいる。けれどもちろん、その人は私の夢を叶えるために動いているわけではない。私は私のできる範囲で、関わるでいいし、「こうしてよ!」っていう変な個我が出てきてしまったら、その思いを手放す必要がある。そうして奇想天外に夢が叶っていく。「時間がなくてできない」ってことはないんだなぁ!と。
こんな時間の使い方があったのか~と、面白いなぁと思っています。
そして最近は、みんながしている(今更やけど)、noteをやろうかなーと思っていたりして。
芸大に行くことが選択の1つとして浮かんでいた自分の何かを叶える行為なのか?好きな音楽とか見た映画とか、時間をかけずにアップしてくための自分の趣味メモみたいなためにやりたいなぁと
「やりたいことがあっていいなぁ」って中学生くらいから友人などに言われていて、その言葉を聞くと少しだけ胸がキュッとなっていました。
「やりたいことがない」ということが不幸だとは思っていません。けれど、そう私に今まで言った人たちのその響きに何か切なさがあって。本当にどっちでもよければ、「いいなぁ」とも言わないように思うし。
きっと本当は人にはそういうもの(これがしたいとかあれがしたいとか)が誰にでもあるんだと私は感じているけれど、無意識にでも本当の自分をどこか抑え続けている間や、抑え続けてきた期間が長いと、そういうものが自然に湧いてくるまでに時間がかかるのだと感じてもいるからだと思います。
私は中学生か高校生か、将来の進路についてこんな風に考えていました。
だぶん中学生の頃、福祉関係か、芸大に行きたいと思っていました。
それで、福祉関係というか、人の話をじっくり聴くことに心が惹かれてると気づいたことがあり、福祉関係か、心理関係か、芸大という3つが浮かぶようになり、芸術は趣味でもできそうだし、、、芸大出て何をするのだ?と思ったりもしたのか(たぶん、自分がその分野で仕事をしていることが想像できなかった)、福祉関係か、心理関係と絞られました。
この流れがそのまま進んでいって、大学では福祉関係の学科を2年、編入して心理関係の学科を2年という流れになりました。結果的にその中でのジャンルが絞られなかったため、ボランティアも含めると、児童から高齢者までのあらゆる年齢へ経験としてはその機会を得れることになり、障がいの分野も身体、知的、精神の全ての分野を経験することになりました。
と言っても、さしたる専門性も養えてはないし、勉強不足も甚だしいと思うし、やってきたことはよかったなと思うけど、自分はいつだって豆粒のような存在だなと思っているところは常にあります。
それでも、ずっとこれらの分野に関心があり、こういうことができればいいなぁ・・とか、こんな世界になればいいなぁ・・とか、思いだけは消えることなく、自分の人生の自分のことで紆余曲折あって、なんだかんだとそれなりに向き合っているうちに、仕事としては個人事業主の形で、「人の話を聴いて、ともにそれを観て考える」という仕事になりました。ツールとしてはまさかの「禅のタロット」を使ったり教えたりしている・・・ということが、十代のそんなことを考えていた自分からすると、驚きの人生の展開のようにも思います。
でも、あんなことにもこんなことにも関心があり、児童から高齢者まで自分の中では分け隔てて”ここ”って感覚自体がないため、こういうことができたら素敵だろうなぁっていろいろ湧いてくる・・・けれど、そんなの全部やれるわけなく、やりたいこと全部やってたら人生何回生きなあかんのかって思うこともありました。
それが、Starlight Commune をもともとそのつもりであったけれど、クミ子さんに活動の積み重ねの更新自体を任せた時に「こういう叶い方があったのか」って思ったり、旦那さんであるこーちゃんの社会福祉における専門的な活動を裏方で手伝うということが起きてきたり、前に出るのはこーちゃんであっても、一緒に活動していくという取り組み方が生まれて、進んでくる中で、「こんな風にしたかったことが叶っていくのか!」が、驚きとともに感慨深いです。
一般的な今までの私の理解としては、人に手伝ったもらうことで、複数の自分のプロジェクトが進むということは、理解のうちにあったけれど、私の思いと一致している何かを、他者が主体となって動くことで叶っていく感じ?!これだったら、一つの人生で、無数にしたいことを叶えていくことができる!なんか斬新!!と思って、やや感動しています。他者が他者の人生を情熱をもって全うしようとする中で、私の夢が自然に叶うのか!みたいな。
他者が私の個我の考えや夢を叶えるわけではないから(私ではない他者が主体となっている活動だから当たり前だけど)、少し広めの意味で、でも深いところでは一致しているところをハートに持って描いている自分がこうあればいいなと思う世界観を叶えていくことを、協力関係で実現していくという取り組み方になります。
もちろん、そのためには、すごく自分が柔軟になる必要があることを学んでいるし、自分がそもそもどういう世界を描いているのか、ともに取り組んでいる人たちはどういう世界を描いているのか、どういう状態であるのか、見守ること、待つこと、信頼すること、自分自身は自分のことに常に取り組んでいること、などなどが同時に働ていることがきっと必須なんだろうと思います。報酬はもちろん、「思い描いている、こうなればいいなぁというものに対して何かしら動くことができ、叶えていくこと」ということのみをモチベーションにできる必要があります。
私が、私の仕事をしている時間でも、同時に他者が私の夢を叶えてくれてもいる。けれどもちろん、その人は私の夢を叶えるために動いているわけではない。私は私のできる範囲で、関わるでいいし、「こうしてよ!」っていう変な個我が出てきてしまったら、その思いを手放す必要がある。そうして奇想天外に夢が叶っていく。「時間がなくてできない」ってことはないんだなぁ!と。
こんな時間の使い方があったのか~と、面白いなぁと思っています。
そして最近は、みんながしている(今更やけど)、noteをやろうかなーと思っていたりして。
芸大に行くことが選択の1つとして浮かんでいた自分の何かを叶える行為なのか?好きな音楽とか見た映画とか、時間をかけずにアップしてくための自分の趣味メモみたいなためにやりたいなぁと
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