孤独について | ondalindaზ⋆∞のびのびとしたあなたを生きよう∞⋆✧

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OSHOタロットリーディング、内観、多次元的視点に関する各種講座、セッション、継続ワークをしています。
アルクトゥルスの光とアルシオンの波と共に✧

「孤独について」上がってきたので、書きたいと思います。

物事を消化し、昇華させていくプロセスにおいて、「味わう」だったり「感じきる」ということを勧められることがあります。

私もワークやセッションの中でその大切さをお話することがあるし、自分の日常の中でも大切にしています。

でも、それに向いていないテーマのものもあり、「孤独について」と「(何をしたわけでもないのにある)罪悪感」は、そういうアプローチをおススメすることはほぼないです。

「感じきる」というのは、もっと日常のモヤっとした出来事に対して小まめに感じきることが大切です。普遍的にあるようなものについて「感じきる」は難しく、それらは人間の根源的なことや集合意識に絡んでいることが多く、ひとりで突っ込んでいくと厄介なこともあります。

そういうテーマに対して突っ込んでいくときは、信頼できるセラピストや誰かと共に一緒に観た方が良いです。

 

私が「孤独について」深く気づいた時は、命に関わる大病をした時ですが、その時、「これって真理なんじゃないかな、、」と思ったのは、人間は「死ぬことが怖い」のではなく、「孤独が怖いのだ」と気づきました。

人は「痛み」と「孤独」が怖い。「痛み」は肉体を持ってないと感じづらく、「孤独」もまた「個人」でないと感じることができない。これは本当に肉体を持った生き物であるがゆえのテーマなんだと思いました。

私は小さい頃から、眠りに落ちる瞬間を想像すると怖いと感じていました。気づいたら寝ているから心配する必要なんてなく、眠りに落ちる瞬間など体験することが難しいのに、「自分が消える」という瞬間を想像すると怖かった。

「孤独への恐れ」は自分の所在を感じたい欲求であるのに、ひとりでいてる時だけでなく、誰かといてても「孤独」を感じることがあり、「共有できないこと」が孤独感を生みます。

例えば、手術をした後、手術の内容によってはその痛みは結構なもので、横に心配してくれる人がいたとしても、痛みに耐えるのは孤独を感じます。夜が恐ろしく長い。抗がん剤など苦しい治療をしている人など、その気持ちを感じたことがある人は結構おられると思います。

それは目の前の人と共有できない。共有してほしいとも思わないとしても、「孤独な闘いだな」と思ったりします。

癒えていく痛みならまだしも、癒えていく目途の立っていないものなら尚更だと思います。

半面、「孤独への恐れ」が歪んだ形で解消に向かおうとすると、自傷行為をして痛みを感じて自分の所在を感じようとしてしまうこともあったりします。

孤独を感じきって行き着くところがあるとすれば、「孤独もまた真理だ」ということ、まずはそこに行き着くと思います。そこに行き着くには、それなりのタフさとかなりのレベルの感じるセンスみたいなのが要る気がするので、ほぼ難しい。

そこまでいったら、受容になって愛に転じるかもしれないですが、それはよほどのことでしょう。簡単に転じるくらいならば、それほどの孤独ではなかったと言えるくらいに、その両方のベクトルは等しいように思います。

感じきるには底なしのテーマで、状態が悪化する可能性が高いので「感じきる」におススメのテーマではないと思っています。


「孤独を感じる」というのは、ひとりでいてても、誰かといててもあるものなので、環境由来に思えてそうとも言えない。

「自分所在の確認に対する欲求」と書いたように、ここに肉体があると感じたら癒されるかというとそうではないから自傷行為をしたところでもちろん本当に癒されるわけではありません。

「ただ自分所在を確認したい」のではなく、「自分の尊厳を感じたい」のだと思います。

「ここに自分がいてる意味」を感じたり、もしくは、「ここに自分がいてる意味など考えなくても良い」という状態を求めている。


私自身、大病をして進めてきた計画をすべてストップさせて手放さなくてはいけなくなった時、分かっているのは進行癌であり、どのレベルまで本当に悪い状態なのかまだ分かっていなかった時、手術後どういった予後になるのか、28歳という年齢で再発の心配や寿命について考えてしまうという状況になった中で、考えても仕方のないことに意識がとられるとウッカリハマりそうになる自分の所在のなさが怖かったと思います。

でもその怖さに向き合うよりも、自然に行動や発想が向いた方向は、「この機会をどうしようか。」と発想しました。

自分を奮い立たせたりしたわけではなく、それこそ自然に自分を守るために「違うことで気を紛らわせた」という感じです。

今から考えれば、うまく逃げたのだと思います。物事によっては、「うまい逃げ方」も「上手い向き合い方」になるのだと今考えればその時のことをそう思います。

私がしたことは、”この機会を利用して”(そこは無意識ではなく実際にそう思っていました)「死ぬまでにしたい10のこと」という若くて余命宣告をされた女性の話の映画をレンタル屋さんでDVDを借りてきて見たこと(笑)手術前、まだ自分の癌の進行レベルがハッキリと分かっていない時でした。

こういうのはたいてい元気な時に見て考えるものであり、実際にある種突きつけられている時に見るものではないと思うのですが、臨場感増すかなと思って、本当にそういう時こそ自分がどう感じるのか知りたくて見てみました。この辺は私が本当に「人間の意識について興味が強い」ことの表れだと思います。

同じ理由で、漫画「デスノート」をぶっ通しで読み(たまたま姉が誰かに借りてて家にあった)、こういう時に読むのは精神衛生上あまりよろしくないな、、と実感しました(笑)

ここは↑ちょっと笑い話ですが、手術後も、療養で仕事ができないのと、留学を中断して諦めた状況だったので、お金もその前にある程度使っているのと使えば減っていくばかり、、という状況なので、日常身体がまぁまぁしんどいのもあり下を向いても落ちるしかありません。

だからと言って”前向きになろう”と思ったわけではなく、”この機会を利用して”という発想でした。

読書が得意ではないけど、本を読める人に対する憧れはその時あって、「100冊本を読んでみよう。」と思いました。図書館は無料だし、と。

細かい文字の本は避け、読みやすい文字のものを、英語の勉強を兼ねて英文の児童書を、、と、

結果だんだん文字から漫画に走っていって、日本の歴史に詳しい人はかっこいいなぁ!って思っていたから「漫画日本の歴史」を最初から全部借りて読んで、テキストまで作りました(笑)


おえーってなっていたり気分が悪い時は、部屋に籠って大きな声で洋楽を歌いました。しかもなりきって(笑)洋楽を歌ったのは英語の発音の練習だとも思っていました。

ただポジティブで明るい人みたいに見えるかもしれないけれど、これらの行動には一貫して「自分の尊厳を感じるためのもの」だったと今は思います。


ただ気を紛らわすのではなく、自尊心を自分なりにくすぐるものを選んでいます。

大事なのは、「誰から見ても身になることをしている」のではなく、自分にとって絶妙にくすぐる内容を選んでいたと思います。


正直どれも何も身になっていません。そもそも身になるためのものではなく、その時を自尊心を保ちながら過ごすことだったからだと思います。日本の歴史は年代順に切り貼りしてテキストを作ったものの、今や全部忘れました。やっぱりそもそも興味がさほどないし、覚えている必要もないため忘れてしまいました。


こんな時に読む「デスノート」は精神衛生上あまり良くないと結果やっぱり感じたけれど、こういう時読んだらこういうのってどうなのかな?ってこんな時にそんな発想をする自分を面白いと思ったし、「自分を面白い」と思えることは私にとって、とても「自分への尊厳を感じること」ができます。自分、イケてる!みたいな感じですよ。そんなの誰かに思ってもらわなくても、自分が思っていたら幸せなのだから。

図書館通いも「なんてよいアイデアだ!」と思ったし、図書館司書のファンまで作ってわざわざそこに毎回並ぶというゲームをしていました。

(しかも姉の同級生で女性w この人なんか菩薩みたいな感じ!って思ってファンになりました。)

「孤独」や普遍的にあるような「罪悪感」のような、まるで根源的な宗教的なテーマをガチで向き合うよりも、変化球でやり過ごしました。

その時スピリチュアル的な発想や知識はなかったので、波動を落とさないように過ごそう!とか思ったわけではなく、結果「自分の尊厳を感じられること」をある意味ピンチのアラームが鳴って自然に探してやったのだと思います。

「自分の尊厳を感じられること」は、その切り口が自分独特であればあるほど良い。効果がありそうに思います。

皆がこれを評価しているからではなく、自分にとってのマニア視点みたいな、他の人から見たらよく分からん的なもの程、自分存在をこういう時は感じやすい。

まるで自分だけ全体の流れから突然ボンって放り出されたような、そんな状態だったから、周りの評価や価値観は何も助けにならなかったと思います。

孤独に今苦しんでいたり、意識が向いていて、何もこれといってしたいことも分からないという状態だったら、一層何にもならないどうでも良いようなことをやってみて、ハマってるフリからでも切り替えになってそれがキッカケになる可能性があります。

例えばプラモデルとか!(最近プラモパーツ磨きにいそしんでいますw) 例えば、全国の豆腐を食すことを究めるとか。オタクみたいなことを。
 
 

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