わたし、子どものときに見たんです。
小学生だったとおもう。
高熱だったのですが、めっぽう熱に強くって。
40度超えた熱が出て休んでたときなんですが
そんなに熱があっても、体を起こしていることができました。
ぼ~っとしていると、棚の上に並べてたぬいぐるみたちが、ふくらんで巨大化して押し寄せてきました。
やや語りかけてくるような、人格めいたものさえ感じました。
子どもが見そうな悪夢でしょ。 でもこれ夢じゃないんですよ~
こういう体験も含めて、わたしは心理学や、意識というものに興味を持つことになっていったんだと思います。
そして こんな感じの諸々な体験があったことで、
精神科デイケアで働いたときに、出会った様々な妄想や幻覚体験を持っている方々に対して
「病気だから」という視点では見ていない自分が常にどこかにいました。
それよりも、「しくみ」がある という視点で見ていました。
妄想や幻覚幻聴のしくみは、
人間的自我のもろさからなのだな、と理解していました。
もろい=悪い と思わないでください。
“自我”というのは 「これはこういうものである」 とか いろんなことの枠組みやルールを守る役割をしてくれています。
それは良くも悪くも「自分を守るため」に働いているものです。
それがもろいと、見えないはずのものが見えたり、聞こえたりがしやすくなります。
自我視点から言えば、“自我”の命令に従って見たいように(自我にとっての)見る、ということができなくなる、とも言えるかな。
だから ありえないものが出てこないはずのところから出てくる、聞こえる みたいなことが可能になります。
高熱の時とか、眠りに落ちる前の朦朧としてるときとか、目覚めた瞬間は「自我」の検問がゆるいんです。
スピリチュアルで (スピリチュアルの定義は置いておくとして)
何かが見えるとか、聞こえる とか
それがイマジネーションなのか、見えてる なのか、
そういうグレードは様々ですけど、
とりあえず、ひとまとめに 「見える」 で表現しときましょう。
わたしのようなこういう、 心理学×スピリチュアル っていうのを活動としてしていると、
お客さま、クライアントさま 関わる方々に、
「わたし見えないから」 「そういうの、よくわからないから」
と今まで何度も言われたことがあります。
相手を否定して、での意味ではなく、
そこには、「もしそういうのが、わかるようになったら(いいなぁ)」という気持ちがある、な感じだと思います。
しかーし!
その「見える」、妄想と変わらないのよ。
裏返すと、病気だから、それは妄想よ、と分けれることもないのよ。
なので 「見える」 のが重要じゃなくって、
その先が重要なのであって、
シンクロとれてるかどうかなのです。
シンクロとれてるかどうか、っていうのは、
その「見える」ないし、「妄想」が、その人にとって望ましく豊かな方向へと 結果として繋がっているかどうか、です。
自分が見るものによって、
自分が聞くものによって、
自分が生きにくいことになっている状態が、社会的に“病気”とされているものです。
だから、わたしは、現場にいてすら、そこにいる全ての人が “病気” とは思えなかった。
ん? 違うな。 社会的に“病気”という状態のときと、“個性”という状態のときがある、と感じていた、かな。
空想だか、妄想だか、には正解はありません。
その人の産物であって、その人にとって意味があるものが現れています。
往々にして、第三者にとってはどうでもいい情報です。
その情報を採用したい人にとってのみ、その情報は生きています。
なので、
妄想 だろうが、
空想 だろうが、
メッセージ だろうが、
なんでもいいとわたしは思うんですが、
そのことによって、自分自身がどんなところへ繋がっていっているのか、
それが 本人にとって一番重要でしょう と思います。
自分が本当に何に繋がりたいのか、
どういう自分に繋がりたいのか、を確認すれば、
メッセージを信じるのか信じないのか、調整されてくるんでないかな。
「見える」 のが重要なんじゃない。
そこは 目的じゃないから。
自分自身が 自分がキャッチしたと感じるものを信じることで、
自分への信頼へと繋がるのならば、それが大切。
そして、その自分への信頼が育ったら、
「メッセージ」とか「見える」とか「見えない」とか、重要じゃなくなるのに、
自然にそこと呼吸して、「見えた」ことや、その「メッセージ」が結果に繋がっている、、 要するに、
結果的に「本物」とか「当たってた」みたいな感じになります。 誰よりも自分にとって。
そしてますます自己信頼が育っていく。
本物かどうか、最初にあるんじゃなく、それをどう反映させていくかは、
やっぱり生身の自分、ということです。
(自分を否定するような、苦しめるような「聞こえる」「見える」は、信じて幸せになるのは難しいですよね。
ほら、当たった!となっても幸せではなく、それを現実化してるのもまた自分自身ですから。
それは、気長に自分の中の因子を見ていく必要があります。)
「見える」 「聞こえる」 「メッセージ降ろせる」 に焦点を当てたら ただの虚栄になって、
それをどうしていくか、そして自分を信じる力に繋げていくと
シンクロニシティが起こり、調和と愛と豊かさの現象化に繋がっていく。
本物だったから、シンクロが起きたんじゃない。
シンクロを起こすのは情熱だとわたしは思ってます。(がむしゃらに頑張るという意味ではない 笑 それでもいいけど)
こう今言えるのは、「直感」というレベルのものから、想像、やや深めの瞑想状態で見たもの、
夢で見たもの、体外離脱で見たもの、頭に浮かんだ言葉から、ハッキリ頭の中で「声」として聞いたもの、
いろんな種類の「見える」「聞こえる」を自分自身が体験した結果、重要なのは、どんな風「見えた」「聞こえた」ではなく
自分がそれをどのように受け取り、どう育てたのか、の方だと感じているから。
誰かのチャネリングメッセージや、星占いでも、どんな情報でも、
それを見た、聞いた他者にとって、
それ自体が重要だったり真実だったりするのではなく、
それを見て、聞いて、何を感じるかが、自身にとっての“鍵”になり、重要になります。
分離データアクセス講座 っていうのをしていますが、
その資料に書かせてもらってるわたしの大切にしていること。
情報は次へ繋がるヒントとして見る!
全ての情報は固定的にとらえず、自分でそれを発展させていくこと。
誰かの情報を、自分がどう感じるのかを飛ばして、そのまま採用する人は、
人に不本意にエネルギーを与えてしまう人です。
それが変なカリスマを作ったり、盲信を生むんじゃないのかな~と思います。
いろんなデータにアクセスするだけじゃなく、流れに応じてですが意識に関する話をいろいろするので
気になる方は講座にいらしてねー。
これは自分の想像じゃないのかなー?
多くの人が、その質問をされます。
あ、講座でだけじゃなくって。
実感あったり、変化を感じても、そう聞いてみたくなる、のかも。
疑ってるというだけじゃなく、
それに対してわたしがどう答えるのかも関心があるのかな?とたまに感じるのですが。
想像だったら歪んでいるとか、想像だったら×××× と否定的な文とセットになってるところが
自我による思い込み だから。 だからといって、その自我外したら 正解!じゃないのは上に説明したとおり。
シンクロとっていけるのは、そこじゃないのよ~~~
想像じゃないのかなー
はい、
意識の産物だから 想像ですよ~
それから始まります。 イマジネーション(想像)はクリエーション(創造)だから。
それと、自分と、うまくつき合ってると
それがどういうことなのか、わかります。
そのとき、見える世界が前とはかなり違ってるでしょう。
長文読んでいただきありがとうございます♪
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・・・潜在意識にアクセス
・・・見つけられるのを待っているデータに会いに行きます
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