こんばんは。
6月末から ステップワーク・感情を観る
をしています。
1回目は、
「否定」 「怒り」のテーマで。
二回目は
「取引」「鬱」のテーマで。
7月29日に 二回目のテーマ 「取引」「鬱」で、わたしもワークしました。
その振り返り、アウトプット。
「取引」っていうのは、
受け入れがたいことがあったときの受容へのステップの中で自然にする心の動き、、としては
「理不尽だ」と感じることを見つけては、「怒り」を持って正当化しようとするその心の動きから、
「怒り」をもち続けていても疲れるし、ほしいものも手に入らない、、
そしたら「至らなかった」と感じる自分のどこかに目がいって、
「○○するから○○なりますように」って思い始めること。
たとえば、病気になった、「まさか」と否定するも、状態は変わらない、今度は「なんでわたしが」と怒りがこみ上げてくるが、怒っていてもしんどいし、変わらない。
すると、あー、こんなことしていたし、あんなことしていたし、、と“思い当たる”ところに目が行き始め、
「もう、不摂生しませんから、病気を治して下さい」と思い始める、
とっても分りやすい流れとして、これ「取引」。
わたし、胃がんになって手術してますから、この流れ、よく分るか?!と聞かれると、実はドラマでありそうな典型的な反応は自分には分りやすくは現われませんでした。
といって、明らかに通ってなければ、この流れは人それぞれなのか、、っていうと、本当に細やかに観察すると、どんな小さな出来事でも大きな出来事でも
受容に至るには、ステップを踏んで受容にいってます。
「怒り」はなかった、と言われることは、セッションをしていて結構あるのですが、しっかり内側にその怒りを持ち続けていたりするんですね。 持っていないことにしたいだけで。
それで、結局、本当のところ「受容」に至っていず、「自分なりの環境適応」で済ませている、それが圧倒的に多い。
要するに、どこかあきらめている、あきらめを持ち続けることで、「受容」した と 思い込んでいる。
それの何が悪いって、悪くないです。 これもステップなので、「環境適応」がままならず、日々の生活に支障がくるくらいならば
「まずは、ある程度安心して自分を見れるレベルまで落ち着かせる」 ことを優先することはもちろんあります。
ほぼほぼ、強制的に自分をケアせざるをえないところから、一定のところまで来たら、だんだんそれ以上自分を見るのか、見ないのか、という自由選択を感じるようになってくるでしょう。
自由を外側に求めるか、内側に求めるか、内側にあるのだと知った人は、続けて自分を見ようとするのではないかなーと思います。
で、全然、本題に入ってない 笑
先日ワークをして、私自身の振り返り。
「取引」はめっちゃいい例がそのちょっと前に体験していて。
不思議と、以前はワークを受けてから、そのあとで、腑に落とせる体験がきていたのに、気づいたら、今では
ワーク前に、分りやすい体験をする って流れが主流になってる。
入力に対する認識レベルが上がり、出力、現象化が速くなればなるほどに、こうなるものなんじゃないかと思います。
今回の「取引」は典型的な「取引」で、ワークの前の26日に、奈良県の弥山に登る予定なのに、こーちゃん、腰痛が急に悪化して、前日靴下も履けないみたいなことになりました。
25日に洞川村入りするのに、神社に寄っていったのだけど、わたしは神様に何かを頼んだり、お願いしたりすることはないのですが、みんなと一緒に登れたらいいなーと思っていたわたしは
魔が差したようにお願いした 笑
神様にお願いするのに 「魔が差す」なんて表現はどうかと思うかもしれませんが、
鬼に頼もうが、神に頼もうが、
本気の入力(願い)にはそれなりの出力(結果)があるわけで、
もちろん何かを差出しています。
なので、“他力”の場合は、何故“他力”をする必要があるのか、、というところは見ずに、それをし続けるっていうことはどういうことなのか、、 ということです。
それに気付いていないから、ほいほい頼めるんだろうとわたしは感じてる。
ただ、軽い気持ちで神社に行ってほいほい頼むくらいな場合、たいして「叶う」と思っていないから、たいしたものを出力していず、結果もよくわからんものになる。
自分のことなら、「魔が差して」頼むこともなかったけれど、家族のことになるとこうなる自分は、すごく分りやすいなぁと思う。
でもすぐに、「頼むほどたいしたことなのかな?どちらでもいいんじゃないかな?登れても、登れなくても、ベストなタイミングがあるんじゃないかな?」と思ったら
すごくもやっとして、
撤回しました 笑
これ、感情が絡んだ分りやすい「取引」です。
でもこの中途半端さこそが、自分が望む契約は成立させない。
それが心から誇りを持って望むことで、
叶わないかもしれないという葛藤がなければ、結果は出る。
(ならばそこは“他力”ではなく、自分自身に入力しよう)
こういうのは目に見えないから、運やくじや たまたまに思いがちなんですけどね。
100円の商品を買うのに、100円持って、これで買えるのだろうか、、と疑う人はほとんどいない。
買える確信がゆるぎなくあるから、それは手に入る。
わたしたちは「取引」のスムーズな精神状態を幾度となく体験してる、本当は。
三次元でしていることが本当はなんなのか、それをどう生かすために、飽きることなくそれをやっているのか、いろんなケースを自分がしっかり体感していたら、
応用が利いてくる。
アートワークはそれをあえて追体験して安全に確認するから、わかりやすい。
ワークも丁寧に根気よくやっていけば、だけど。
ワークでやって、日常で確認して、日常の無数のケースに自分で気づいていけたら、
日常が瞑想である、の意味が分り、
「できるだけストレスの少ない毎日を生きていきたい」 という消極的願いから、
「自分で創造する というところを生きていこう」 というところに来たときに、
「いかにして超感覚世界の認識を獲得するか」 という こんなマニアックな本が基になって生まれたワークである、ということの原点に立つ。
そんな感覚の今。
ワークを自分でしていこうと思いました。
その前に「鬱」のワークの振り返りをして、ワークをどんな風にしていくかの詳細は、また後で。
・・・潜在意識にアクセス
・・・深く癒すのを必要としているところにアクセスします
・・・古いパターンを架け替え自ら望む生き方を創る
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