皆様こんにちは。
土岐山です。
昨日はリー先生のイタリア料理レッスン。
牛肉の赤ワイン煮込みはイタリアのクリスマスのご馳走なのだとのこと。
こうして他国の文化を知ることは、自国の文化を見つめ直すきっかけになります。
イタリア料理も和食も共通するところは、下ごしらえをきちんとするという、目に見えないことに心を配ること、そして家族や友人を思って丁寧に時間をかけて料理を作るということ。
この赤ワイン煮込み、手間と時間がかなりかかります。普通の鍋だと半日の大仕事だそうです。
でもそれが家族や友人を心から思いながらの時間であれば、こんなに素敵なことは無いわけです。自分を思って半日仕込んでくれた料理を食べて嬉しく思わない人なんていますかね。
あ、この料理作った私を見て!という自分中心の気持ちが入った料理だったら胃もたれしますが(╹◡╹)
リー先生は和食も丁寧に教えてくださいます。この時期にこの食材をいただく意味、切り方、保存の仕方などを「なぜそれが必要なのか」を必ず説明してくださいます。形だけの料理ではないのです。それは料理に心を込めることの大切さを伝えたいという思いがおありだからです。
だからリー先生の生徒さんはみんな優しくて素敵な方ばかり。自分も人も、同じように尊重しあう気持ちのいい空間。
私はリー先生のご自宅でのレッスンが大好きです。
リー先生の温かい心が入ったこのお料理やおもてなしのしつらえを沢山の方に見て欲しいので、シェアします。
「インスタ映えする」という言葉があるそうですね。
人に見せてもいいのですが「なぜその写真をみんなに見せたいのか」がとても大切と思います。
自分がよく見られたいのか、美しいもの、感動したことを沢山の人に伝えたいのか。天と地ほどの差があると思う。
「なぜ」と考えることは、自分との対話でしかなし得ません。
なぜと聞かれてパッと答えられないものは、なんとなく流されてしている行動です。
例えば、あなたの生きる目的は何ですか、と聞かれてパッと答えられないということは、生きること自体に迷いがあるということです。
人と対話をする目的は、自分の心と向き合うためです。だから家族や友人とのディスカッションは自分を知るために重要なのです。表面だけのディベートをして話し合ったつもりになっている人もいるかもしれません。人ごとではダメなのです。あくまで「なぜ自分はこうしたいのか」から逃げないでとことんまで考えることが生きることの基本と私は思います。
ディスカッション慣れしていない人は、対話をしてもなんとなく自己弁護の理屈で逃げてしまいます。頭は大人だからね。そして次の対話の機会を作ろうとしません。心が子どもなために、自分の苦しみに自分自身が触れたくないからです。そうした人は人のせい、環境のせいにして、もしくは人ごととすり替えてディスカッションを終わらせる癖があります。だから心が子どものままから成長しないのです。逃げていたら前に進めないのは当たり前です。
先日お会いした素敵な大人の女性。彼女の安定感と言ったらありません。心が安定している大人との時間はとても楽しい。
その女性は「ロジカルな思考って、訓練だからね。その訓練がなされていないと、人はすぐに感情的になるよね」とおっしゃいました。おっしゃる通りと思います。
私は地球上の全ての営みは「優しくなるため」になされることが望ましいと思っています。あくまで土岐山の考えです。
優しい人というのは、絶えず心が安定しています。心が安定している人同士で争いが起きようはずがありません。
戦争を起こすのはミサイル自体でも武器自体でもない。
自分が人「よりも」優れていると誇示したいという、その人自身の「劣等感」と「自己承認欲求」を満たそうとする行動によって争いは起こります。「自分が正しいでしょ?認めて!認めて」という思いが全て。「劣等感」がある人は自分の世界を守るために個人攻撃を繰り返しますが、それが実は争いの火種なのです。
人より優位になりたがる人は、同時に自分が下に見られることを恐れています。
ですが本来、人間に上も下もない。(仕事上の立場とは違う話をしています)全ての命と存在は平等に尊いのです。それがまず自分の腹に落とし込めているかどうかです。
頭ではわかっている人は多いけれども、自分を大切にしていない人が圧倒的に多いことを如実に表している現象が、食事情です。多くの人が、自分や家族や友人に時間と手間と心を込める行為を怠っていることが、コンビニエンスストアのお弁当や時短のためのレトルトやスーパーの惣菜コーナーのおびただしい数が物語っています。
ですが形だけでもダメと思います。和食を毎日食べ、時間をかけた暮らしをしているが故にその形式に満足し、自分との対話を怠っている人もいます。いかにも日本文化を大切に生きていますという人がたまにいますが、形だけではダメなのです。
昨日食事をご一緒してくだすった、年下の男性。仕事中にもかかわらず、時間を作ってくださいました。その男性との対話がとても好きです。気付かされることが沢山あります。
「『便利なやつ』って言われたらムッとするだろうに、『便利なメシ』は平気で食べるんだよね、多くの人は。」
「便利なメシ」を食べるたびに自分で自分を「便利なやつ」という人間に作り上げるという事実にどれだけの人が気づいているのだろうか。
便利なメシを食べている自分に「私は自分のことを大切にしています」と胸を張って言えるのか?
自分にも家族にも友人にも、思いのこもった料理を作り、楽しくみんなで料理をいただく。
なんと素晴らしい人間形成術であろうか。
思いのこもった料理が並ぶ食卓は、人間形成の最高のステージだと、土岐山は思います。
大好きなまだん陶房の李先生の作ってくだすったお皿に乗せて、いただきます(╹◡╹)
美味しい料理と思いのこもった器は、人を幸せにする(╹◡╹)
土岐山拝










