母親って子供に対して
「無償の愛」を求められることがよくあって、
でも「無償の愛」を与えることが出来ずに
苦しんだりする。
ときには「自己犠牲」=「無償の愛」と
曲解して自分の首を締めることさえある。
そんな事を考えてたときに、
心理学の本を読んでいてすごく自分にしっくりくる考えが浮かんだので、
記録として残しておこうと思います。
(ただの備忘録なので興味ない人はスルーしてください。)
「無償の愛」はキリスト教からきてるんやけど、
「無償の愛」(アガペー)を備えているのは神だけ。
母親は人間なので、母親が「無償の愛」をもつのはそもそも不可能。
母親の愛は無償の愛ではなくて、
「家族愛」(ストルゲー)と呼ばれる別分類です。
神がアガペーを与えられるのは、
神が完全な存在であり我欲を離れているから。
そして、人間は不完全な存在である。
なので人間が「アガペー」を他者に与えるには、
神のように完全な存在に近づく必要があるのだ。
つまり母親に「無償の愛」を持てって言うことは、神になれっていうのと同義よね
💦
仏教で言うなら悟りを開けとか、解脱しろとか、簡単に言っちゃうのと同じ。
そう考えたら、
「あー、ムリ! そもそもムリだわ
」
「アホらし。なんなんそのムリゲー
」
って心底そんな気持ちになった。
無償の愛ゲームからは、もう降りようと思う。
私は中高カトリックの学校に通ってたんやけど、
その学校は聖母マリアを模範とする
良妻賢母を育てる校風の学校やったんよね。
それでふと思ったんやけど、
マリア様ってもとは普通の人間なのよ。
でも学校では、
マリア様のイエスキリストへの愛は「無償の愛」って教えてたなぁ…、
なんでやろ…?と思って。
マリア様ってもとは人間やけど、
神の子を宿したから神格化されたんかな
?
だとしたら、
それを模範にした母親になりましょうって
そもそも無理な話だったんでは?
キリストの母(マリア)を目指すって、
そりゃ目標は高いにこしたことはないかも知れへんけど、
目標高すぎへんか
?
目標を高くもって自分を高めるには良いけど、
それが出来ない自分を責める人(母親)は多いよね。
自分を高めるはずの目標が、
自分を責めるための材料になってんの。
僧侶やシスターが神に近づけない自分を
戒めたり罰したりするのは良いけど、
普通の一般人の母親が神に近づけない自分を
必要以上に責める必要ないよね
結論、
人間に「無償の愛」がないのは普通です。
感情的になるのも普通です。
子供を可愛がれないときがあるのも普通です。
それが人間だから、人間らしさを否定するのをやめよう
!!
あー、なんか頭の中が整理されてスッキリした。
