スピ界隈にいると嫌というほど目にする

「気づき」というやつ。


黒いTシャツの背中に漂白剤の染みがあることにも気付けない私には、毎日、毎日、何をそんなに「気づき」があるの!?


尊敬に値するところだけれど

先の通り、惰性をものともしない私には、見るだけで疲労を感じるものとなっていました。










ちょっと、もう、勘弁w



そんな頃合いで、逆世捨て人となり労働に勤しみ励むこと3年。


1年を捨てるサイクルも2周目。



おかげさまで、逆世捨て人の時給労働者ながら行雲流水のほほんと暮らしております。





「気づかない」って、いいですよ(笑)




少なくとも私は、


気づかないことで結婚して、あたりまえのように食事を共にできる家族を得て


気づかないことで仕事に就いて、放課後の学生みたいに喫煙所であーでもないこーでもないと話せる上司や同僚に恵まれて


好きな小説の世界に身を投じて


夕飯の支度をしながら大河ドラマを観て


たまには外に出て、生の音楽に揺られて




今がいちばん生きてるなあと感じられています。









かつての私も「気づき」に対して強く求めたつもりはなかったけれど

そこそこ深く考える性質との親和性が高かったことは否めません。



目の前の人に対して


なぜこの発言に至ったのか?

なにが起因しているのか?


目には見えない部分の過程を無意識に紐解いて、喜ばれることに「生きてるなあ」の実感を得ていたのだと思います。



あくまで私は、これを「気づき」とは題さないけれど、受け手によっては十分それになり得る内容でした。



自ら差し出して、勝手に疲れて、なんとも自己都合なやつです。あくまで「私は」の話ですよ。


反省(笑)










1年を捨てる

これつまり、目の前のことに期待しない


行動レベルでは

・人と会わない(予定をいれない)

・成長しない

・変化しない

・楽しもうとしない


だけど、人生には最大限期待する







くううう!

2周して、やっと少しだけ本チャンに近づけた気がするぜ!



というのが現時点での所感です。





ちなみに、これまでも何度か書いてきたことはありますが、不思議なことに「わたしもやる!」の声は聞いたことがありません(笑)



引っ込むことで得るものよりも、外注の「気づき」を得られなくなるかもしれない怖さが勝るのでしょうか?


今となってはわかりたくもないわかりようもないことですが、「気づき」って、ずいぶん安上がりなんだなあとガッカリしますね…。





私も、ようやく当時の違和感にたどり着けそうです。












天体観測を続けることで見たかった未来は、誰かに「気づき」を与えることではなく、人生を解説することでもない。




ああ、生きてるなあ〜って


大業なことではないところで感じられる

日々の暮らしそのもの

命の時間そのものを取り戻すこと



そのための過程であり、道のりだったのです。





本来なら、誰に教わらずとも、お金や時間をかけなくてもあるところにはあるもの。


でも、私にはそれがなかったし、だから散々遠回りをした。

そして他にも持たない人がいることもわかった。




今は、私ではない"持たない人"を刑事裁判の傍聴を通して感じているので…





やっぱりなあーーーーー。


「気づき」の消費のために私の命は使えない。




これが、もうすぐ2年を捨てようとしている私の「気づき」です(笑)