おはようございます。

タカです。

 

日曜の朝、いかがお過ごしですか。

今日もちょっと肌寒い感じですね。

皆さん、風邪などひかないようにしてくださいね。

 

そして、今日はいつもと違う感じになりますが、ご勘弁ください。

あのね、ふと思い出したんです。

祖父のことを。

 

 

 

東日本大震災の時も僕たちの家族を守ってくれた、

 

 

この建物を建ててくれた、祖父のことを。

 

本当にふと、思い出したんです。で、なんだかカタカタとキーを叩いている。

この建物が建ったきっかけは、ずーっと昔に遡ります。

今から66年前の1960年まで遡るんです。

その年、大きな津波が日本を襲ったことを、皆さんはご存じでしょうか?

 

チリ地震津波。

 

東日本大震災の時もそうでしたが、津波の前には大きな地震があるのが通常です。

だけど日本を襲ったこの津波は、地球の裏側のチリで起きた。

だから、日本では地震がなかった。その予兆がなかったんです。

(今みたいに情報が発達していなかった時代)

 

そんな津波がきた日のこと。

気仙沼内湾で小さな歯科医院を営んでいた僕の祖父は、その時、大好きな夜釣りに出かけていました。

(僕がまだガキだった頃、祖父が教えてくれました)

夜の海に釣り糸を垂らし海面を見ていると、突然、海の水がどんどん引いていったといいます。

それを見て祖父は「津波が来る!」と察知して、家に飛んで帰り。

妻(つまり僕の祖母)を叩き起こし、子供たち(僕の父たち)を抱えて、高台に逃げて九死に一生を得ました。

 

その時の教訓から、歯科医院を高いビルにして通常よりも強い建物を作ったのです。

 

奇しくもそれに気付いたのは、東日本大震災で流されなかった建物を見てから。

通常よりも杭を打ち込んで、材料も塩水で劣化しないものにしていた。

そして、1階部分は空洞にして波の衝撃を受け流せるようにしていました。

 

 

ほら。

1階部分は駐車場にして、遮るものがないでしょ?

これについては、僕がまだ作家デビューする前のブログでも

 

 

書いていたのですが。

 

66年前の深夜、5月24日未明に気仙沼湾を襲ったチリ地震津波があった日を迎えてなんでか、そんなことを思い出した。

 

いつもだったら、ガガさんや黒龍さんが登場する朝ですが、なんかね、これからはこうした思いも発信していこうかなと思ったままに綴りました。

 

ま、たまにはこんな日もあっていいでしょう照れ

 

ちなみにその建物は、

 

 

気仙沼内湾の町が、底上げをするために一度建物の取り壊しが必要になり。

「どうせ取り壊されるなら役に立とう」と、父の提案で、レスキューの訓練に使ってもらいました。

 

最後までみんなの命を守るために働いてくれた、思いあふれるビルの話。

 

 

 

 

その建物から眺めた、震災前の景色が懐かしい。

 

今あるものは、当たり前じゃないんですねえ。

しみじみと思うのです。

 

さあ、皆さん。

顔を洗って、鏡を見て、にっこり笑っていきましょう。

どうぞ健やかな1日に。

 

 

 

 

 

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