最近、フェイスブックの友達になった方から情報を提供されたのですが、その方は家の系図を調べていて(小野さん)、平から小野へと名字を変えている事、ルーツが宮城県の気仙沼にある小野家だそうで、それに対して私の知る情報を提供させて頂いたのですが、そこで話題となった事は他の小野家の方にも参考になると思いますので今回はソレを書こうと思います。
まず、宮城県からは二人の小野小町が出ていまして、一人は宮城県へと帰り小野家へと嫁いでいる可能性を伝え、「気仙沼の小野家には小野小町の伝承はありませんでしたか?」と聞いた所、「あった」との回答を頂きました。
(
ヤッパリか!)
ご本人は元々が平氏で小野へと変えたのか、それとも元々は小野だが平を名乗っていたのか分からない旨を仰られていましたが、これは小野小町の伝承がある事で証明出来るのです!
小野小町とは奈良時代の末期から南北朝時代までに14人が居た事を突き止めています。

私の考察からは、小野小町とは神懸かる事が出来る巫女的能力が出た小野一族の女性で、天皇家や小野家へと「神託」を伝える為に後宮に入っていたと考えています。
よって殆んど全員が普通の女性ではなく(※二代目だけは結婚後に後宮に入ったとみられ、巫女的能力ではなく、政治的な意味で入ったと考えていますので例外になります。)、アマテラス(瀬織津姫)や卑弥呼(世襲足媛)の直系を継ぐ霊能者だったと思っています。
よって他家からも望まれたでしょうが、小野一族にとっても「宝」の様な存在で、ほとんどが小野一族の有力家へと嫁いでいる様子が残されています。(※逆に小野へと嫁いだ為に、子孫も小野なので特に何かを残す事は少なかったようです。)
よって宮城県でも小野一族へと嫁いだ様子しか無かったので聞いたのですが、ルーツとなる小野家に小野小町の伝承があるなら、間違い無く本姓は小野氏で間違い無い訳です。(※同時に小野小町の子孫だろうと思います。)
次に「平」を名乗っていた理由ですが、小野一族は基本的に母系氏族なので、母親が小野の場合でも父方の姓を名乗らず「小野」を名乗り、代わりに父方の姓も系図とかに伝承し「橘小野家」とか「菅原小野家」などと系図に書いている物をみていますので、気仙沼の小野家は「平小野家」ではないかと助言させて頂いています。
橘小野家の事例でいうと、一族の中に時々「橘」を名乗る者が出たりして、岡山県でも愛媛県でも同じ系統の家ですが、ドチラにも「橘」を名乗る人が時々いて、どういう時に橘を名乗るのかは分かりませんが、とにかくそういう事例がある事をお伝えしました。

その方も小野一族は一歩退いている感じがあるとは言われてましたが、その理由は南北朝時代までは裏の天皇家だったからでは!?とお伝えしました。
これは正確には小野一族とは「天神」として世界を統括していたからでは無いかと最近は考えるようになりました。
それは中国の唐王朝が日本人による王朝で、小野岑守や小野篁が中国の情報を積極的に収集していますし、楊貴妃も日本人系でピンチの時に日本へと逃がしたのも小野一族がガッツリ絡んでいる事を知った為です。
天皇家に相談している様子は無いので、小野家が独断で判断し決定している様でした、つまり海外で活躍していた日本人にとっては小野一族こそが頼れる相手だったと思われます。
小野一族ほどイメージと実態が合わない一族は無いでしょう、藤原氏から敵対視されるのも、操れる天皇家よりも厄介な相手だと思われていた訳です。
だから小野妹子から朝廷には出仕していますが、出世しようとしないのは、「出世など、どうでも良いから」だったからだと思います(※元々小野家は大王家なので家臣をする必要が無いが、天皇家を助ける意味で参加していただけ…)、朝廷での権力よりも大きな力を持っていたから、「一歩退いていた」と考えるのです。(※嵯峨天皇の時は皇后が橘嘉智子だったので、小野一族とは兄弟氏の橘が支えた天皇だった為で、小野岑守も篁も積極的に支援していたと思います。娘の小町(吉子)も嵯峨天皇の息子の仁明天皇妃になっています。)
とまぁ、こんな感じで小野一族への既成概念を壊す事に協力させて頂きました、全国の小野一族に対しても発信しないと駄目なんてすが、協力者を募集しています❤️
手伝ってやろうって方は「小野龍海」(※フェイスブック)まで連絡をお待ちしております。(笑)
龍海
