備忘録「伏見桃山城と秀吉」 |         きんぱこ(^^)v  

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      砂坂を這う蟻  たそがれきんのすけ

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露と置き露と消えぬ我が身かな


浪華(なには)のことは夢のまた夢

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秀吉が伏見桃山城で亡くなるときの時世です。

どういう意味なんでしょうね。


露のようにポッと出て、露のように跡形も無く消えてゆく、そんな私だったな。

結局、浪華のことは遠い夢だった・・・。


というのが私の勝手な直訳。


「浪華(なには、なにわ)」の解釈は、皆さんはどう思いますか?


これも私の勝手な解釈。


こんな生き方は冗談じゃない!

小さい頃に針を売って歩いてたのは有名な話。

家を出た時点で秀吉の人生は、先が見えて無くても、歩んでいく方向が決まっていたのかも。

でなければ、家で我慢しながら生きてただろう。

子供の頃の、卑屈で屈辱的な体験は、この人の心の深くに焼き付いていたはずだ。

猿と言われて馬鹿にされる。

しかし、馬鹿にされた方は、人の持つ本性をしっかりとみることができる。

人というのは、普段は本性を見せないが、馬鹿にできる相手をみつけると、途端に本性を剥き出しにしてくる動物らしい。

馬鹿にされるほうは沢山の事を学ぶはずだ。

しかし、問題は卑屈になって、自分の自信を失ってしまいそうになることだろう。

秀吉は、それを笑顔と愛嬌そして、生きるか死ぬかの中で身に付けた駆け引きの方法と読心術を生かし続けたのだと思う。

しかし身に付いた卑屈の心を払拭出来なくて内心もがいていたはずだ。

その証拠に、関白になって、昔の事を面白おかしく周りの人に話したそうだが、幼少の頃の話は一切しなかったそうだ。

これは、秀吉の手紙や祐筆が書き記した文献から解っていることらしい。



信長の草履取りになっても猿と呼ばれて馬鹿にされ、


侍大将になっても猿と呼ばれて馬鹿にされ、


長浜城の城主になっても猿と呼ばれて馬鹿にされ、


筑前主(ちくぜんのかみ:従五位下)になっても猿と呼ばれて馬鹿にされ、


従四位下参議(さんぎ)になっても猿と呼ばれて馬鹿にされ


とうとう天下統一して関白になっても猿と呼ばれて馬鹿にされた。

関白になったということは正真正銘の公家の最高位になったということだ。


関(あづかり)白(もうす)で関白。

天皇の周りのことを全て担当する最高責任者。

ちなみに、病弱な天皇の代行をするのは摂政(せっしょう)。

秀吉は、この関白に就任するために、苗字を豊臣と変更した。

それでも影で馬鹿にされて、とうとう死ぬ前に、最後に言った。

「なにわのことは夢のまた夢。」

秀吉は馬鹿にされない楽しい世の中を作りたかっただけではないだろうか。


それが浪華という夢の国


012013


(伏見桃山城)




012011


天守閣は昨年東映が映画のために金箔に塗り替えた。

1億円をかけたと聞きます。

今は中には入れない。




012009


ここから外部に鉄砲の銃口を向ける。


こんな蓋があったが本当に昔あったのだろうか。




012015


桃山城築城の時に使われた石。


○に十といえば島津藩?



012008



ここからは京都が全て見渡せる。


手前の家一帯(すぐ手前小学校)は「大亀谷(おおかめだに)」と呼ばれ、京都の高級住宅街だ。

大阪には、淀川に船を浮かべると直ぐに行ける。

最初は地震で潰れ、次に火災で焼け、三度目にやっと建ったのは徳川時代だった。

もともと桃畑だったので桃山と呼ばれていた。

模型のような小さな城だが、七条大橋の上から逆にこの辺りを眺めると、桃山城が小山の上にくっきりとそびえていて存在感は大きい。