1997年11月24日朝、友だちから電話があり、

「山一證券つぶれた、テレビでやってる!」

え?え?うそー、テレビを付ける。

野沢社長が
「社員は悪くありません!」

と泣いているところだった。

夫は1993年に大手損保へ転職、私は1994年に結婚のため寿退社をし、二人とも辞めていたものの、先輩や友だちはたくさん勤めていた。

損失補填、総会屋利益供与、飛ばし、がニュースにちらほらでだしてから経営が危うい、と風の噂で聞いていたが、1965年の証券不況の時に日銀特融を受けて復活したこともあり、こんな大きな会社、潰さないでしょう、と誰もが思っていたと思う。


11月21日に夫が山一證券の営業で働いていた友だちに頼まれて山一證券株2000株を購入していた。

「絶対潰れへん、俺(友だち)も買った。100円以下は買いやろ!」

決済はまだ済んでいなかったが、友だちのことを思えば、振り込まないという選択肢はなかった。

会社は潰れ、社宅は追い出されるだろうし、持株会もパーやし、ここのところの下落でたくさん買っちゃったみたいだし。。

友だちは泣いていた。
慰めの言葉も見つからない。。

私が寿退社で辞める時、給与天引の持株会で貯まっていた株に、少し自分の資金を足して単位株(当時1000株)の株券にし、裏書をし、大事に持っていた。

それもこれも全て紙屑に、、、

今でも記念に株券は大事にしまっている。

「人の山一」
会社はいい人ばかりで本当に働きやすい職場だった。

今でも当時の部のみんな、メールでつながっていて、一年に一回自主廃業した11月の金曜日に飲み会をする(ここ2年ほどコロナで中止)。

みな、それぞれ会社は違うけれど年も経て、そろそろ定年。。

色々なことがあったね。

みんななんだかんだ幸せそうだし、よかった。

なんで急に思い出したんだろ、なんか書き留めたくなったので。。

人生何があっても前向きに生きましょう!