今、古事記・日本書紀をずっと通読していますが、
聖書とは明らかに違っていてとても面白いです。
聖書が神対人、であるのに対し、
日本には、神=人という考えが根深くあり、
自身の先祖を辿ると神に繋がっている、という概念は本当に驚かされました。
自分が子どもの頃からキリスト教に慣れ親しんだからかもしれませんが
「ご先祖供養」というものを全く知りません。
特に母親がクリスチャンですので、「ご先祖は神ではない」と常々言ってたのを私はそのまま鵜呑みにしていました。キリスト教では先祖は神ではなくあくまで人なのです。
今回古事記・日本書紀を初めて通読して、自分たちの先祖を辿っていけば、全て天皇の臣民・神の子となるという考えを改めて知り、すごいなぁと感慨深いものがありました。
キリスト教は最終的にイエスキリストの名によって、私たちの罪が赦され人は神の子となる、という教えですが
日本はキリスト教ができるはるか大昔から、すでに人は神の子であることを宣言していたのです。
原罪を強く打ち出すキリスト教に対して、生まれたままですでに神の子とされる日本の考え方は、真実にまっすぐな捉え方だと思います。まさに、自分の「真名」を知っていることと直結するような。
「原罪」ということを先に出されると人が人を裁く原因ともなり、気が付くと集団の中でヒエラルキーを形成しやすくなります。そして個人的に自分はどう生きたらいいのかという自然な問いは、まさに集団の中でどう生きたらいいか、という問題にすり替えられ、自分の本質に従って生きることを「我儘」と捉えられてしまう傾向にあります。
だからキリスト教はダメということではないのですが、ゆがめられてしまう、また誤解されて解釈しやすい宗教であることはたしかで、日本人にもともとある基本的な考え方(人は神の子)とは相いれないがゆえに、キリスト教への改宗が進まなかったのはこういう面にもあるのかもしれません。
(私は日本の教会でしかキリスト教を学んでいませんので、海外のキリスト教徒の人たちからしたら違う宗教のように感じられるかもしれません。私が20年間教会に通って感じたことを述べています。)
しかしながら、日本人の基本的な考え方は真実に揺るがない筋の通ったものであることを思わされます。
神は分離された存在ではなくまさに私、自分自身である、という見地に立つことで、なにものにも揺るがされることのない宇宙で唯一無二の存在として自己認識できるようになる。
そうした基本的な思想、考えがおそらく敗戦によって否定され、今のような日本を作り上げてしまっているとも思うのですが、ようやく私たちの中にある神性が目覚めつつあるのが、今まさにこの時期ではないかと思っています。
なにものにも揺るがされることがない、ただありのままで自分自身を受け取っていく時、本来の生き方に目覚めることができるように思います。
宇宙の仕組みが理解できると、その中でただよう一つ一つの魂がとてもとても愛おしく、尊いもののように感じられます。
魂は宇宙ではみんな繋がっている。垣根のない隔たりのない世界。
そこで一つ一つの魂が光り輝いている。その光り輝く魂が、この地球を取り囲んでいるのです・・・。
一時、私たちは肉体を借りてこの地に生まれますが、やがていつかまた光の珠となります。
その光がまた命となって地上に宿る。
その繰り返しの中で私たち人間は愛に満ちた世界を創り出す使命を与えられているのだと思うのです。
地上では理不尽な力による支配も、束縛も、搾取もありますが、魂の世界にはありません。
私たちの魂は浄化されてまた新たな命となって地上に生まれる。
その繰り返しの中で地上を整えていく役割を担っていると思うと、一つ一つの命が、とても尊いものに感じられませんか。
