外で工事をしているため音が気になります
ちょっとした物音ですけど
暑い中私たちのためにありがとうございます…
田舎でどこ行くのもちょっと不便だなと思うけど、静かだから居心地は良いんだよな…
と改めて気づけました
当たり前って感じていること、どこにでもある
体調を崩してから回復まで短い期間でしたがいろんなことがありました
いまはこうして空を眺めることができるのが有り難いです
雨もよく降りますし、もう7月も終わろうとしているのに梅雨明けはまだ
天気に左右されやすい感情ですが
所詮わたしは地球に居候させてもらってるだけなので
文句は言うけど本心ではありません
ため込まず言いたいことは言うようにしているだけです、考え込むと止まらないので脳直で独り言言うようにしました
だる〜い気圧のせいで眠〜い
とか
言っちゃダメって思ってるからシンドイ
自分に素直になる
独り言なら全然へーき
わたしは自分に優しくする
なんか同じこ何度も何度も書いている気がするし、気のせいかもしれない
けど書こう!と思いついたので書く
脳直
体調不良の時、体が思うように動かなくて、鬱っぽくなったとき思考もイカれたと思った
というのは、思考を自分でコントロールできない状況になったから
自分が意識しないところで別の自分が考えているような感覚
わたしはそんなこと考えたくないのに!
と、思っていても考える、、私自身が
とうとう気が狂ったかと思った
自分で自分がコントロールできない
それは今回に始まったことではなかったけど、そういうことはしばしばあって…だからこの精神世界に興味が持てたということもある
でも今までのそれとは違う
とても強いどん底へと引き込む力
あれは何だったんだろう?
わたしの知っている数少ない言葉で言えば
絶望感
今になって思う
人は平均台の上にいて歩いている
細い
踏み外すと片方は光、片方は闇
ん〜?
これだと良い悪いって意識が出ちゃうかも?
片方はお花畑、片方は崖下
お花畑はきれいなこと、好きなものばかり見て脳内お花畑な状態
崖下はなにもかも無気力になって生きるのが苦痛な状態
現実を見ていまを生きるというのは
ミリ単位での慎重なことをする程難しいことではないのかな?とわたし個人は感じた
わたしは芯がないことがコンプレックスだった、いつも相談するときは芯がある女性になりたいと言ってカウンセリングやヒーリングを受けたりした
でもそんなことはなかった
平均台の上を歩いていけてたのだから
それは芯があるからこそ出来ていたことだった
わたしは何も持っていないと思っていた
それを見ずに現実逃避してお花畑でキャッキャ キャッキャ していた
それも良い、空いた穴を埋める方法を探すことは自分で求めて決めたこと
失敗などない
全ては経験
お花畑の反対側の崖っぷちはキツかった
片手だけで崖にしがみついていた
とてもしんどかった
いっそのこと落ちちゃおうか
落ちたら楽になると思った
けれど片方の手を家族や友人が掴んでくれた
わたしは諦めなくて良かったと思ってる
いま自分の足で地面を踏んで立てていることに奇跡を感じる
でも足の下には平均台が見えるようになった
ちょっと踏み外すとどうなるか経験したから慎重になった
自分の変化に敏感になり、少しのストレスも見逃さないように注意を払っている
なので最近は食べ物が食べられないことが増えた
もともと小食だったから、元に戻りつつある感覚だから病的なものではないけど
甘いものが食べられなくなってきた
乳製品やカフェインも弱くなってきた
前から怪しかったけど、好きだから無視してきたので体の異変にも鈍感なふりをしていた
もちろん時と場合にもよるし
やっぱり食べたいしww
乳製品やカフェインが良くないと言う話ではなく、わたしの細胞がいま欲していないという話
でも体に耳を傾けるとこうも変わるのかと…
自分に優しくしていたつもりだった
そう、つもり
美味しいもの食べたり好きなことをしたり、旅行行って癒したり、自分自身にご褒美を与えていることが優しくするという意味だと思っていた
毎日毎日自分を注意深く観察したり、管理することだと学んだ
お客様をおもてなすように
お体の調子はどうですか?
今日は何を食べたい気分ですか?
お散歩はいかがですか?
お疲れでしたら休憩いたしますか?
横になられてはどうですか?
気分転換におでかけしたいのでしたらお付き合いいたしますよ?
みたいな感じで語りかけると
体は喋ってくれる
無視していたから全然聞こえなかったー
いろんなことが重なってたまたま体調不良になったけれど、もしかするとずっと前から体からのサインはあったのかもしれない
気づいていないだけで
自分が一番の自分の理解者になる!
と決めたのです
わたしの場合は側にいてくれた人がたまたま家族で、たまたま支えてくれて、たまたま欲しい言葉をくれて、たまたま欲しい対応をしてくれた
すごい奇跡だと感じました
自分がこのような経験するまでは分からなかった
そこまで大変で思い詰めていたのなら…
言ってくれたら…
相談してくれたら…
力になったのに
っていう優しい方は周りにはいる
わたしも困っている方が近くにいたら助けたい
けど
自分では気づかないで急に壊れることもある
自分ではコントロールできないほど思考がイカれたら人の存在を認知するのは難しい、助けて!と言うこともできないくらい気が狂ってることだってある
見抜いてとは言えない
気づいてとも言えない
これは運だなと
自分の態度がおかしくて周囲に知られること
周囲の誰かが気づいてくれること
声をかけてくれること
自分が『大丈夫』と言ってしまわないこと
その誰かが適切な言葉をかけてくれること
対応が適切であること
いろんなタイミングが偶然が正確な判断が重なって初めてそこで自分が異常だと気づくことができる
そこで救われるじゃなく
異常事態に気づく
とても難しい確率だ
わたしはヒーリングをしているけれど、今後どのように自分がヒーリングに携わっていくかを考えている
ヒーリングはとても良いもの
でも今のわたしがやることはどういうものなのか改めて見つめていく
今回の出来事をわたしの独り言では
闇堕ちって言ってるのですがww
闇堕ちしてる間、それはそれは闇は闇を引き寄せました
わたし自身、魂を磨いてきたからより強い引力だったのだと思います
引き寄せ力はそこまで強いと感じてはいませんでしたが、ネガティブな引力は物凄い強力でした
そこでわたしは今までお花畑にいたと知らしめられたのでした
わたし守られていました、恵まれていました、それを気づきもせず
もっと!もっと!頑張らなきゃ!!と思って前ばかり見て突っ走ってきました
立ち止まっていろんな世界を見ることができました
そのいろんな世界のひとつに
スピリチュアルを利用した詐欺にあった方を知りました
内容はとてもショッキングでした
人の弱みにつけ込んで、優しい世界を利用する人がいるのかと
ですがその人も依存していたので
お互い様といえばそうなのでしょうが
怪しい話もたくさんあるでしょうが、わたしはたまたま被害に遭わなくてよかったです
ただ運が良かったのか、守られていたのか
それを学ぶことを選んでいたら、きっとその人はわたしだったのかもしれません
良し悪しの判断はやめておきます
良し悪しは人が決めたもの
わたしがこれからどうしたら良いのか、考えるきっかけにもなりました
何をどうしたいのかも考え始めました
体験して良かったからオススメしているのでそれで良いとは思っています
ですがわたしの言葉で今生きることから目を逸らすことがあったら…と思うとゾッとしました
気をつけなければなりません
わたし個人で今まで当たり前だと思っていたことで言うことではないと思っていましたが
スピリチュアルに依存はないと思っています
神のように崇めたてる教祖も存在しないと思っています
生活の苦になるほどの大金を納めなくても人は無事に一生を生き抜くことはできると思っています
素晴らしい方はたくさんいます
ですが、その人に依存していると幸せにはなれません
信じることと依存することは違います
信じても信じなくても自分を生きていくことに変わりはありません
信じるものは報われる
と言いますが
わたしにとっては言葉が足りず誤解しやすい言葉です
わたしに読み解く力が足りませんでした
信じて自分の人生を歩む者は救われるのです
嘆いても諦めても足元を見て一歩…一歩…
時間がかかっても楽しくなくても目立たなくても立ち止まっても
自分を信じることをやめないでいる
苦しみは続きません
楽しみも続きません
人生は波のように動いています
苦しいことも楽しいこともそれらは人が感じていることで良し悪しではありません
苦しいと感じることも人にとっては有り難いこと
楽しいと感じることも有り難いこと
いろんな感情を感じ体験し魂を磨くことがこの地球を選んで生まれた意味だとわたしは感じました
このまま耐えきれなくてしがみついていた崖から手を離してそのまま落ちたとしても
良し悪しではないと思いました
いまのわたしにはここまでか、どこがどうだったのかな?と分析して終わり
じゃ、次またチャレンジしてみましょう
という輪廻転生が繰り返されるのかと感じました
何言ってるのか?と思われてるかもしれませんが、わたし個人の感覚なので意味わからないことはスルーしてくだって結構
経験こそが魂の喜びなのかもしれない
わたしは誰に対して何をしていきたいのか
考えていこうと思います


