私には、誕生日が3週間くらいしか違わない同級生の従姉妹がいる。

彼女は5つ年上の姉と3歳下の弟がいる中間子さん。子供の頃はとにかく勝ち気なタイプだった。

叔父が天職を求め転職をしまくった為、非常にスリリングな家計事情だったらしいけれど、商売人の家族だからと叔母①多忙になると、我が家に従姉妹のKちゃんを預けに来て、双子のように育った。


最初はヤキモチ焼いて、私に攻撃するものだから母にしがみついて怖がり、余計にキーっとなる悪循環な時もあったらしいけれど、私もだんだん慣れて反撃しそのうち仲良く遊ぶようになっていった。


不思議な事に、兄弟姉妹で同じタイミングで子を授かり同い年のいとこ同士交流する流れになる事が多いのはなぜだろう?


ニコニコも、義妹の所の四男坊と同じ学年。私が産院から退院した日、義母と義妹に連れられて8カ月ベビーの四男ちゃんもやって来た。お座り出来て人見知りバリバリな様子に、8カ月後はこんなに大きくなるんだ!大人になったらそんなに変わらないのに、ちっちゃい子の数カ月って凄いなと思った覚えある。


ウチの父にも忘れ得ぬ同い年の大好きな従兄弟がいたらしい。

ヤンチャで押しの強い、目まぐるしく動く父に対しておっとり穏やかなタイプで、タイプが違うから仲が良かったらしい。


ところがである。その従兄弟さん子供の内に亡くなってしまっていて、その事実を父は受け入れられないでいる様子を垣間見た。


大叔父がなかなか強烈なキャラクターで、法事で伝説が語られるようなタイプの人だった。

具体的に、継母とのバトルが語り継がれているとか、作家故に、アイデアに詰まると引っ越して新しい空気を求め、戦前には満州にまでいった位の型にはまらない人だったらしい。


満州渡った時は最初は羽振り良くてセレブ生活だったのに、敗戦色強くなって船で帰国しようとした時に、父の従兄弟は感染症で亡くなってしまった。


帰国後も、さらなる苦難が待っていて、債券が紙くず化してショックで大叔父の奥様、ガンにかかって苦しんで亡くなったと聞く。


先だっての叔母①の葬儀の席でも大叔父の悪事が暴露され、亡くなった人より印象強い故人ってどないやねんと思う一幕があった。


亡き父は晩酌がすすむと絡み酒になるのに閉口したのだけど、従兄弟さんの話になると長生きしても事実を受け入れるのは難しいんだなと流石に気の毒に思った。

「A(従兄弟)は中国人に売られて、その金で他の家族が帰ってきたに違いないんだ。中国残留孤児にAはきっといるに違いない」


大叔父や他の家族さんにとても失礼な言いがかりに、なんて酷い事言うんだろうと思ったけれど、やりかねないと思わせるようなキャラ立ちしてた大叔父と、それだけ従兄弟に生きていて欲しかったんだろうなと思うと、なんにも言えない私でした。


小さい時楽しく交流した淡い思い出と、ん10年振りの再会でまた交流しようかなとなってる流れに、Kちゃんとお姉さんと交流再開したきっかけって、そういえばオトンの納骨の時だったな。オトンが繋いでくれたんかもなと思っている。


願わくば、平和な世の中で出来るだけ楽しい時間をいとこと共有出来ますように!

それは一つの幸せの姿なのかもと思うのでした。