不思議なのですが、私は今までに何回か大陸(中国)との縁があると言われることがあり、自分としては謎でしかなかったのですが、父方の祖父や大伯父の縁だったのでしょうね。
少し前に清朝最後の皇帝、ラストエンペラー夫妻についての動画が何回も上がってくることがあり、観ていたのですが、中でも皇后婉容の一生は痛ましく悲しいなと思っていました。
祖父が満州国で密偵の任につき、終戦後にもしそれが明らかにされ戦勝国に捕まっていたならシベリアの収容所に送られ亡くなっていたかもしれない。
密偵でなかったとしても、英語と中国語が堪能なためスパイと疑われ帰国できなかったかもしれない。
今の住所に引っ越してから、【シベリア抑留】について学ぶ機会に恵まれました。
戦時中、何が正義なのか?何を信じたらいいのか?
国の行末、個人の人生の行方さえわからない、凄まじい時代の奔流の中で、綺麗事では生きられないギリギリの中で祖父が命を繋いでくれたからこそ、私たちが今を生きて娘達が生まれた。
「感謝」という一言では表せられない、
ありがたく、尊いことだと思います。
今年は我が市で平和記念式典が行われ、市内の中学校の生徒会が呼ばれ歌を捧げました。
生徒会に属している長女も参加しました。
今思えば、そのような機会に恵まれたことも祖父や大伯父からの縁があったからだと思います。
月並みな言葉になりますが、最近きな臭い気配もするので、平和の大切さを語り継いでいかなくてはいけませんね。
年の瀬にこのような記事が書けて良かった。
亡き祖父、大伯父からの今年最後のメッセージでした。
※追記※
そう言えば、祖父は次男の父にお坊さんになって欲しかったらしく、父は僧侶になったとしても困らない名をつけられました。
あまり見かけない珍しい名前ですし、祖父は戦地で過ごして思うところがあったのか。。
私は長女なので、父から一文字もらって名づけられましたが、孫である私が在家出家したのも不思議なことです。
知らず知らずに祖父が導いてくれていたのかな。。
ちなみに父方の祖父は高野山で法要をしたらしく、赤ちゃんの頃に私も連れて行かれたそうです。



ではでは、
私は母と料理を作りつつ年を越します。
今年もあと数時間。
皆さまも素敵なお年をお迎えください。
ご覧くださりありがとうございました。
翠涼

