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2025年大晦日、父と話していてびっくりすることがガーン

父は料理をする人で
弟が父手製のチャーシューが食べたいと言ったので、年始用に作っていたのですが、、

「餃子もチャーシューも親父が教えてくれた」と話していました。


父方の祖父は大学で中国語と英語を学び、通訳をしていたそうで、父は長崎の佐世保で生まれました。



父が話していたのは、「はっきりと親父(祖父)は言わなかったけど、親父は軍で働いていた時に密偵をしていたのではないか?軍から恩給をもらっていた」とのことで。。


初耳ですが、祖父の兄、大伯父はかつての満州国で高官の任についていて、祖父も満州国に滞在していたとか。。

日本の降伏前に、情報が流れたらしく大伯父は家族で飛行機で帰国したそうです。

大伯父も英語と中国語が話せたのですが、帰国途中で日本人だとわかると捕まるため、危なかったそうなのですが、中国語が堪能だったため中国人と偽装し九死に一生を得たそうで。。


不思議なのですが、私は今までに何回か大陸(中国)との縁があると言われることがあり、自分としては謎でしかなかったのですが、父方の祖父や大伯父の縁だったのでしょうね。





少し前に清朝最後の皇帝、ラストエンペラー夫妻についての動画が何回も上がってくることがあり、観ていたのですが、中でも皇后婉容の一生は痛ましく悲しいなと思っていました。







祖父が満州国で密偵の任につき、終戦後にもしそれが明らかにされ戦勝国に捕まっていたならシベリアの収容所に送られ亡くなっていたかもしれない。


密偵でなかったとしても、英語と中国語が堪能なためスパイと疑われ帰国できなかったかもしれない。




今の住所に引っ越してから、【シベリア抑留】について学ぶ機会に恵まれました。



戦時中、何が正義なのか?何を信じたらいいのか?


国の行末、個人の人生の行方さえわからない、凄まじい時代の奔流の中で、綺麗事では生きられないギリギリの中で祖父が命を繋いでくれたからこそ、私たちが今を生きて娘達が生まれた。



「感謝」という一言では表せられない、

ありがたく、尊いことだと思います。





今年は我が市で平和記念式典が行われ、市内の中学校の生徒会が呼ばれ歌を捧げました。

生徒会に属している長女も参加しました。



今思えば、そのような機会に恵まれたことも祖父や大伯父からの縁があったからだと思います。



月並みな言葉になりますが、最近きな臭い気配もするので、平和の大切さを語り継いでいかなくてはいけませんね。



年の瀬にこのような記事が書けて良かった。



亡き祖父、大伯父からの今年最後のメッセージでした。



※追記※


そう言えば、祖父は次男の父にお坊さんになって欲しかったらしく、父は僧侶になったとしても困らない名をつけられました。

あまり見かけない珍しい名前ですし、祖父は戦地で過ごして思うところがあったのか。。



私は長女なので、父から一文字もらって名づけられましたが、孫である私が在家出家したのも不思議なことです。

知らず知らずに祖父が導いてくれていたのかな。。

ちなみに父方の祖父は高野山で法要をしたらしく、赤ちゃんの頃に私も連れて行かれたそうです。



クローバークローバークローバー




ではでは、



私は母と料理を作りつつ年を越します。



今年もあと数時間。




皆さまも素敵なお年をお迎えください。



ご覧くださりありがとうございました。




翠涼