11月16日(日)21時20分

病院で母が息を引きとりました…


弟と母のベッドを挟み孫2人の話をしていました

それを聞きながら母は苦しむこと無く静かにこの世を去りました


モニターがけたたましく鳴ったので

母を見ると息をしていないのがすぐに分かりました


慢性心不全との事でした


65歳で認知症になり77歳までの12年間

本当によく頑張りました


病院でお世話になったのは2年2ヶ月

亡くなる前日まで家族に対しては反応があり

『また明日来るね』と声をかけると

うんうんと頷き 目も薄っすらと開けていたのですが…当日は酸素マスクに無反応でした


医師からは10月半ば、10月末までもつかな…と言われていましたので覚悟はしていました


体重も30キロ無く

小さい母がより一層小さくなり

前日に骨と皮だけの背中をさすってあげ

『気持ち良い?』と聞くと

うんうんと頷いていました


美意識の高い母、、、

亡くなった直後 魂が抜けてベッドに横たわる激痩せした自分を見て

きっと…

『え〜これが私〜びっくりこんなの嫌だわーチュー』と

呟いてるなぁ〜笑笑と瞬時に思いました

認知症になっても ずっと綺麗でいたかったという思いが伝わってきました



認知症になっても前髪を直したり一緒に撮った写真を見せると自分を指差し

『これは誰かい!?』と聞き←いかにも不機嫌

『お母さんよ』と言うと

白髪頭のシワシワおばあちゃんは嫌だと…

いつも看護師さんやSUCREに

『あんた、かわいいね 綺麗やね口笛

『髪もいいね〜』『この服、良いね』などと

体調が良い時は いつも褒めてくれる母でした

施設や入院するまではカラーリングに連れて行ってましたが入院してからは無理だったので羨ましかったんでしょ〜ね

いつまでも綺麗でいたい女心 

そんな気持ちが痛いほど分かります


認知症…

母は少しずつ自分では無くなっていく恐怖で

周りに激怒したり激しく攻撃してくるようになりました

それでも介護を続けますが何度も心が折れそうになり娘や主人に励まされ何とかやって来れました


母は女1人で弟とSUCREを苦労しながらも大事に育ててくれ沢山の思い出を残してくれました

その沢山の愛情たっぷりの思い出は心折れそうになるSUCREをいつも支えてくれました


桜井識子さんがブログや本で教えてくれているように認知症になっても魂は『ありがとう、ありがとう』と伝えていると言う言葉を信じて介護を続けて来ました


母が息を引きとったあと…病室で

すぐに弟と一緒に般若心経を唱え

『お母さん一緒に帰ろうね照れ』と伝えました


家から持って行っていた洋服を看護師さんに渡して着替えさせてもらいました

最後に綺麗にお化粧もして頂き担当看護師さんの配慮でSUCREが口紅を付けさせてもらいました


主人の大親友が葬儀屋さんなので すぐに迎えに来てもらい全てが順調に流れ無事にお通夜葬儀を終える事が出来ました


ちなみに…長男はお通夜だけ、長女は憩室炎で入院になるかもしれないと宮崎から帰って来れず。

次男は宮崎から帰って来たと思ったら発熱

コロナ、インフル2回検査を受けて全て(➖)

結局、5日前に居酒屋で食べた地鶏のたたきがあたってカンピロバクターでしょ〜と診断

潜伏期間が長いんですって

福岡に帰って39度まで熱が上がりお通夜葬儀には出席出来ずでした

10月から気をつけていたのに…

このタイミングでショボーン

長女次男は、おばぁちゃんっ子だったのに

大好きなおばあちゃんにお別れを言えず…でした


仕方ないですね…


母が亡くなって1週間

心が重たいですが…

この12年間自分なりに一生懸命介護をしてきたので悔いはありません

やりきったと思っています


仕事も今丁度多忙なので4日休みをもらい 

やらなくなくちゃいけない事は弟とチャカチャカと終わらせ 生前お世話になっていたデイケア、2年2ヶ月お世話になった病院、担当看護師さんにご挨拶に行きました


49日法要は…1月3日となりますが早めの12月27日に(たまたま仕事が休みになってて良かった)


お寺さんの数え方では1月3日までは喪が付きますが識子さんの数え方だと1月4日まで喪が付き1月5日で喪が明けます


来年の縁起物は…

喪の期間中SUCREは神社境内に入れないので喪がついていない長女と次男が帰って来たら神社に連れて行って買って来てもらおう〜と思っています

開封するのは喪が明けてからにしようと思います


まずは、超多忙な仕事を乗り越えて49日法要をむかえたいと思います