太平洋戦争終結後、海外にいた日本人660万人を
引き揚げさせるため、国は舞鶴の軍港など18港を
引き揚げ港に指定しました。

5大引き揚げ港としては、舞鶴港、博多港、浦賀港、仙崎港、浦頭港。

台湾からの引き揚げ港は、大竹港、田辺港、鹿児島港、宇品港、佐世保港に集中しています。
台湾から引き揚げた日本人は約48万人。
当時の台湾の人口は658万人です。

田辺港(文里港)は、1946年2月から5ヶ月間に、
中国、台湾、マレーシア、インドネシア、
パプアニューギニアなどから輸送船63隻が入港しました。

田辺港には22万332人の引き揚げ者と、
1万1469柱の遺骨も帰国を果たしました。

父の家族は昭和21年3月9日に基隆港を出港し、
3月15日に田辺港に入港したと記録があります。

乗っていたのはアメリカの貨物船 リバティV14号です。





大きい貨物船ですが、狭い船底にたくさんの人が押し込められて、酷い船酔いや疫病が蔓延して大変な思いをして引き揚げて来たと聞いています。

よくぞ生きて帰って来てくれたと感謝の思いです。


その田辺港の近くには引き揚げの碑があるそうで、
父が引き揚げてきた場所を一度見てみたいなぁと思います。






ネットよりお借りしました。

(スクショですいません)




リンク貼っておきます。