父が存命の時、台湾での思い出をICレコーダーに録音していた事がありました。

先日、久しぶりに再生してみました。
懐かしい父の声。
今回は父に聞き取っていた事をお話しします。

昭和20年4月。
父は台北商業の4年生で17歳でした。
戦局も厳しくなってきた頃、
父は学徒動員され、新店と言う所に行き、約100人程いた陸軍の航空廠の部隊に軍属として徴用されました。

そこには人事係と経理係があり、タイピストがいました。
父は人事係で
部隊の方の留守宅名簿を作っていました。


そして、毎日自転車の荷台にバケツに入ったご飯と豚汁などを積んで、
事務所から航空廠の部隊まで運んでいました。

終戦まで5ヶ月ほど新店におり、
終戦後、台北士林の自宅へ帰宅。

父は昭和3年生まれの四男。

大正生まれの兄3人はそれぞれ徴兵されていました。

長男は、フィリピン派遣軍
二男は、花蓮港で台湾 敢1786部隊
三男は、台北州樹林口で台湾 敢1787部隊
と記録があります。

残念ながら、長男は5月にフィリピン セブ島で戦死。

二男、三男は、終戦後9月に除隊し、無事に士林の自宅に帰還しました。

三男は台北第一師範学校を9月27日卒業と記録があります。
その時は20歳ぐらいですが、戦争中だったので
きちんと卒業できなかったのでしょう。

父は台湾での楽しかった様子はいろいろ話してくれてましたが、戦争の時の様子はほとんど話しませんでした。

でもそのICレコーダーの中では唯一
B29から爆弾が落ちてきた、
グラマンが松山飛行場へ飛んでるのが見えた、
と話してるのがあります。

辛い戦争の記憶は思い出したくなかったのでしょうね。


またボチボチ更新しますので、
読んで頂ければ嬉しいです。