仏説観普賢菩薩行法経(ぶっせつかんふげんぼさつぎょうほうきょう)


釈迦がガンジス河の支流で、美しいビジョンを繰り返し重ねながら説かれた、いかに世俗にあるものが悟りを得るかと説かれた法です。

このイメージをしながら、罪を告白し許しをこい、真の心で本質を見極め、大乗教を心に浮かべ、よく考えるなら黄金の華を見る、と言われます。

その中に、メルキゼデグ・ドランバロのハートのワークでイメージする松果体の活性化や、三種の神器のたとえの様な表現が出てきます。

波紋の様に広がっていく、お経の後で、その部分を紹介をします。

「普賢菩薩は、東方の浄妙国土にお生まれになり、身の大きさは果てしなく、発する声は果てしなく、姿かたちは果てしなく、物事をありのままに把握し真理を見極める認識力により、変化して白象に乗った。

其の象には六つの牙があり、七つの足で大地の上の身体を支える。其の七つの足の下には、七つの蓮華を生じる。

その象の色は、雪のように白く、全ての白の色合いの中で、最も優れている。六つの牙の端に於いて、六つの沐浴の池がある。一つ一つの沐浴の池の中に、十四の蓮華が生えている、池と同じ大きさである。

一つ一つの花の上に、一人の宝玉のような女人がいる。手の中に、五つの琴を生じさせる。一つ一つの琴に、五百の楽器があり、それを以って伴奏させる。

五百の鳥がいる。鴨、雁、オシドリ、皆宝石の色であり、華や葉の間に生じる。

象の鼻に華がある。其の茎は、例えば赤い真珠のようである。其の華は金色であり、まだ芽であって開花しない。

このことを見終わって、また更に犯した罪悪を告白して許しを請い、真の心で本質をはっきりと見きわめ、大乗経を心に浮かべてよく考え、心を休めることなく絶え間なくするならば、華を見る、それは敷き詰められて、金色の光を放つ。

様々な姿となって現れた仏が、蓮の花びらに、お座りになっているのが見える。多数の悟りを求める修行者が、蓮の華の雄しべに、お座りになっている。

さまざまな姿となって現れた仏の眉間から、また金色の光を放って、象の鼻の中に入る。紅の蓮の華の色であり、象の鼻の中から出て、像の眼の中に入る。像の眼の中から出て、像の耳の中に入り、像の耳から出て、象の頭の上を照らして、変化して金の花弁を作る。

象の頭の上に、三人の変化した人がいる。独りは金色の輪を持ち、一人は竜王の脳中から出て望みをすべてかなえるという珠玉を持ち、一人は金剛杵を持つ。

金剛杵を挙げて象に突きつけると、象はすぐに良く歩く。脚は大地を踏まず、虚空を踏んで歩き回る。」

「象の鼻は、紅の蓮の華の色であり、その上でさまざまな姿となって現れた仏が、眉間の光を放っていらっしゃる。

その光は金色であり、前のように象の鼻の中に入り、

象の鼻の中から出て、象の眼の中に入り、

象の目から出て、還って像の耳に入り、

像の耳から出て象の頭の上に至る。」

ドランバロのハートのワークを受けた方には、馴染みのある表現だと思います。


三種の神器といわれるものは、すべて私たちの内にあると、説かれています。

金色の輪が「八咫の鏡」

望みをすべて叶える珠玉は「八尺瓊勾玉」

金剛杵は「草薙の剣」


遠い昔から伝えられているものは、私たちが歩んでいる道は、ここへ還っていくものだという、道標なのですね。

下のリンクから、読むことができますので、イメージしながら観想してみるのも、面白いかもしれません。