「誰かに認めてもらうことが、私の存在価値」

「認められる」ことと
「自分の存在価値」をひっつけていて、




それを
「存在していることが私の価値」
「存在=価値」
に変更した。




その後も、以前の設定が出てくることがあったけど、
でもそれは「あ、〈存在=価値〉に変更したんだった、そうだった」でそこはそれで流すことにした。



小学生の時、掛け算の九九を間違えて覚えてしまって、気が付いてもう一度覚え直した。でも最初は前の記憶が出てくる。
「あ、そうじゃなかった、こっちだった」そんな感じ。




それを何回か繰り返した。






それがある時ふと、腑に落ちた。


この前、キッチンでお皿を洗ってるときにふと、
本当にふっと思った。




家族が存在しているということ。
両親が存在しているということ。
義両親が存在しているということ。
仲間が存在していること。
すべての人が存在していること。


私を取り巻く色々なものが存在しているということ。
すべての存在がただあるということ。




その存在から、私はどれほど受け取っているか。
受け取らせてもらっているか。



安心感。
やすらぎ。
時間やエネルギー、お金を掛けたいと思える相手がいること。
今、共に生きているということ。
これからも共に生きていきたいと願える人がいること。

愛するということ。


苛立ちも怒りも不安も悲しみも寂しさも。
会いたいと思う人がいること。
会いたくないと思う人がいること。




存在してくれているだけで、無限に受け取っている。


それは尽きることもなく、無限に私は受け取っている。


今までも、今も、これからも。



ならばならば
そうであるならば、



私もまたそうなのだ。
私も存在しているだけで、
そこから誰かに何かを与えることが出来るのだ。



それはすごいというより、
そういうものなのだ。
それが存在するということ。



ただ、存在すること。
あとは何だっていい。



何だっていいから、
何してもいい。



承認されるために何かをやってもいい。
それが本当に好みならば。



存在のオマケを楽しめばいい。
本気で楽しめばいい。



設定を変えたら、それで「そういうことにした」でいいのだ。



本当の願いなら
本当に望むことなら、
ちゃんとそうなる。



本当の魂の願いなら、
必ずわかる。



体感する。




心が喜ぶ。



私はそうだった。