藤本さきこ認定講師・安井佐和子です。

 

 

以前にこんな記事を書いた。

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私は主婦です。

 

 

3人目を妊娠し、市役所で何かの申請をした時に「奥様のご職業は何でしょうか?」と聞かれた。



 私  「無職です」


窓口の方「では、主婦ですね。この職業欄に「主婦」と書いてください」


 私  「え?主婦って職業ですか?」


窓口の方「当然です。」

 

 

というやりとりがあった。

 

 


この時の何とも言えない違和感。


「主婦って職業なの?」

 

 

 

 

「主婦は職業ではない、なぜならお金が発生しないから。」と思っていた。

 

 


 

そして、

 

家事・育児はお金が発生しないから価値がないとも思っていた。

 


だから主婦を職業だと思えなかった。

 

 

 

 

家事とは価値のないもの

 

育児とは価値のないもの

 


これがあると、

 

「あーあ、何で私ばっかり!」

 

「私はお休みがない!」

 

「なんか、損してる気がする。。」

 

そのくせ、子供を預けて好きなことをしようとするとモヤモヤする。

 


 

 


「育児って損」

 

「家事って損」

 

家事も育児も割りが合わない。

 

 

時間費やして、自分のことより優先して、でも認めてもらえない。

 


評価されない

 



家事も育児も価値がない、

 

だって、お金が発生しないから。

 ついでに家事・育児しかしていない私も価値がない、だった。



お金が発生しないものには価値がない設定

 


 

だから価値のないものはやりたくない、

 

何とかして最小限に。

 


家事育児は避けたいもの、手を抜こうって必死だった。

 

 

 


損得で見ていた。

 

パパが仕事休みの日ぐらい、手伝ってよ!

 

オムツ替え私ばっかり、ずるい!



 

 

 

本当にそうだろうか?

 


お金でその価値が変わるのではなく、すべての仕事(労働)は対等。

 

お金をもらっていないだけで、本当は受け取るに値する。

 


 

お金が発生する・しないでその仕事(労働)の価値は決まらない。

 

お金が発生する・しない、そこにあるのは好みだけ。

 

 


結局、損得が発生するのは「認められたい」があったから。

 



家事も育児も、自分だけで価値を見出して、自分だけで認めてやればいいのだと思う。

 


何やかや言っても今やっている、つまり「結局は私はやりたいのだ」というところを見たら、

 


本当のところは価値があるか?ないか?と外側に向かわなくても、


 

価値とか関係なく、やりたいんだ。


 


外側に求めなくても、「私が存在する」だけで価値はあるのだから、

 

やりたいようにしたらいい。

 


 

本当の願いを見たら、どうしたいのか答えは出てくる。



私はこの家族と共に生きていきたい。

 



 

肩書きで自分の価値をはからなくていいのだ。


肩書きと自分の価値は関係ない。


ただの事実。





私は主婦です。


私は安井佐和子です。



そして、まず何より

私は女である、という事実。

 


犠牲も我慢も自然と引き受けることが出来てしまう性質であるということ。



ここを受け入れたら、損も劣ももうこのままでいいやってなった。



私ばっかり損、、でもいいか。




平等じゃなくてもいいや、ってなったら、




相手(旦那さん)が存在してくれているから得られる安心感、いつも家族にお金を渡してくれること、家事育児もやってくれている事実をやっと見れるようになった。



 

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