私の小学生の頃の夢は「漫画家になること」だった。
全然上手じゃなかったけど、物語を考えて(ベタなラブストーリーだった笑)
漫画という形で表現することにとてもワクワクしていた。
画用紙や丸ペンやインクなどを買って、漫画家風に浸るのも楽しかった。
母親に漫画家になりたいと伝えると「お母さんが見てOKなら本気で目指していい」みたいなことを言われて、
「お母さんに見せるのは恥ずかしい・・・無理!」と
それまで一生懸命にやっていたのもあっさり諦めた。
その程度かい!って感じなんだけど。
今思うと、表現するという喜びにはいつもセットで、
「この表現をどう思われるか」
という思いがいつもあった。
認められたい(=存在価値)があった。

木漏れ日が美しい。写真ももちろん表現。
表現とは内側から自然に湧いてくるもの。
私たちはいつも表現している。
行動全てが表現だから。
それに対して、頭(思考)が勝手にジャッジ(判断)を下している。
「どうしたいのかわからない。」
「何が好きなのかわからない。」
そんな時は頭(思考)が自然と湧いているものを良いか悪いか判断して
気付かないように、キャッチ出来ないようにさせている。
「表現することができない」
そんな時は、この表現が恥ずかしくないかどうか(お母さんのように)
自分の思考が監視していた。
この思考は私のものではなく、ただの「設定」ということを認識する。
「恥ずかしくない表現ならしてもいい」
「誰かを納得させれるような表現ならいい」
「誰かの心を震わすような表現ならいい」
とっても難しくしていた。
私が私に表現することを制限していた。
子供の頃にお母さん次第だったように、
誰か次第だった。
表現とは私から出てくるものすべて。
いつも自然と溢れ出てくるもの
無限に産み出しているもの
ということを思い出す(決める)と、
必ず感覚が教えてくれる。
良いものだけ受け入れますよ、という姿勢ではなく
全てを受け入れる。
私たちの内側から、いつもいつも湧き出ている。
それをまず私から認識すること、その繰り返し。
まず私だけで私の存在を認めること。
【募集中】です♡

