安井佐和子です。
先日書いたこの記事
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書いた後、色々出て来ました。
「嫁姑関係」で悩んでいたときは、私の周りは同じように悩んでいる人がいっぱいいました。
「そうだよね〜嫁と姑なんて所詮他人。うまくいくなんて有り得ないよね〜」
って本気で思っていました。
たまに「仲がいい」なんて聞いても、本気で「今はそうでも絶対に何かあるはずだ。」って思っていました。
今ならわかるのですが、
悩んでる時って、そのことばっかり考えてるので、その話題にとても興味がある。
自分からその話題を振ったり、そういう情報を探している。TVで「嫁姑問題」なんてやってたら、めっちゃ観てました。
「あ〜あるある!」なんて思って共感していました。
めっちゃ楽しんでました。

私は姑と喧嘩して、仲違いしたかったわけじゃない。
仲良くしたかったのだ。
当時は「ホントに嫌い!大嫌い!苦手。」の一点張りでしたが
「仲良くする」の設定が難しかったのだ。
姑と仲良くするとは
「週一で連絡を取る」
「月一は会いに行く」
「誕生日、母の日、父の日は必ずお祝いしなければならない」
「何かあったら逐一報告(特に子どものこと)」
「一緒にお買い物に行く」
「義両親の要望には応えなくてはならない」
などなど。。
とにかく密に!
何でも分かち合う!
みたいな感じでした。
「距離感」を持って付き合うなんて、「仲良い」とは言えない、って思っていた。
すっごいしんどかった。
それに気づいた時に、「仲良くする」の設定を変えました。
仲良くするとは
「形ではない。
相手を思う気持ち。
それだけ。」
にした。
そしたら、
「どんな形でもいいんだ」
と思うようになった。
表面的な形に捉われて、勝手にしんどくなっていました。
距離感って大切だ。
近すぎると何でも気になってしまう。
わざわざ自分から悩むのをやめて、
適度な距離を置くようになってから
気にならなくなりました。
姑もこのままでいい。
私もこのままの私でいよう。
そう自然に思うようになった。
「嫁姑とは揉めるものだ」「嫁姑とはうまくいかないものだ」
という設定もあったことに気づきました。
それは、自分の母親を見ていたから。
母が苦労しているのを見てきたので、自分だけ「うまくいってる」なんて申し訳ない。
それもやめました。
目線を変える。
悩んで、イライラしたり、ザワザワしたりしている個の自分が「本当の私」ではないということ。
それを引きで見つめている自分が「本当の私」なのだ。
「何でもいいよ。好きなようにやったらいいよ」
って個の私に言ってるんだ。
だから、今も昔も、ずっと幸せなんだ。
すべて喜びなんだから。
「うまくいく」とは在るがままでいいということ。
あなたも私も在るがままでいい。

