藤本さきこ認定講師の安井佐和子です。
受け入れ人数が少なくて、「空き」待ちでした。
すっかり忘れていた昨年末に「空きがでましたよ」と連絡を頂いた。
待望の「空き」!
平日の昼過ぎまでは預かってもらえる。
わーいわーい🙌
と、同時にザワザワした。
ずっと娘が家にいる生活が日常になっていて、
私が外出したいときはシッターさんにお願いしている。
うん、
何の問題も無いよね。
むしろ、わざわざ預ける必要無いんじゃないか。

入園グッズ。可愛い❤️通販ってホントに便利で有難い(笑)
昼間に次女と二人で過ごす穏やかな時間。
家ではいつもニコニコ上機嫌な娘。
「このままで何の問題もないじゃないか。」
という言葉が頭をよぎる。
この場合の「このまま」とは、「娘を児童発達支援センターに預けない」「日中も娘と一緒に過ごす」ということ。
なぜそう思うのか?
「娘にはずっとニコニコ笑っていて欲しい」と思っていて、怖い思いや苦しい思いをして欲しくない、と思っている自分に気づいた。
つまり、そういう思いをしている娘を私が見たくないのだ。
「怖い」「苦しい」思いは「感じて欲しくないもの、感じたくないもの」にしていた。
設定変更を知って本当に良かったと思うのは、
こういう時。
「そうだよね!わざわざ今からそんな思いをさせたくないし、シッターさんもいるからまだいいか。」という思考に対して
「なんでそう思うんだろう?」って自分に問えること。
すべてが喜び
という宇宙の心理を思い出させてくれること。
次女が新しい世界で得る経験(それによって感じる感情)は、どんなものであっても魂レベルでは喜びであるということ。
そして娘がどう感じたかは私の領域外であるということ。
その姿を見て、私が何を感じてもすべてが喜びであるということ。
「怖い」や「苦しい」「悲しい」を感じたくないものにしていると、無意識に避けようとする。
でも楽しい、嬉しいばっかり感じたい、なんて出来ない。どちらかだけなんて、無いのだ。
すべてあるもの。
もちろん何を選んでもいい。
どちらを選んでもいい。
今は預けない、でもいい。
私はどうしたい?
やっぱり預かってもらいたい。私が助かる。
娘にも色んな経験して欲しい。
もちろん元気に楽しく過ごしてくれたら嬉しい。
次女がダウン症である、という事実を知ってからも、「ダウン症」についてあまり調べずにきました。
それは「ダウン症だからこうに違いない」という思い込みを持ちたくない、という理由だった。
情報に流されたくない、振り回されて一喜一憂したくない、
という思いだった。
つまり「情報とは=採用しないといけないもの」だったのだ。
結局「やるか、やらないか。」「知るか知らないか。」で、正解を出し、スッキリさせようとしていたのだ。
そうではなく、
必要だと感じるならば、情報を得た上で採用するか、しないか、もしくは保留にする、様子を見るか。
選べばいいのだ。
それだけのことだった。
上っ面だけ見ていた。
本質を見ていなかった。
「心配」「不安」から選ぶのではなく、「娘にとって、私にとって、より良い」と感じられるものを、その時々で選んでいく。
それが、失敗も含めて全て糧になるのだ。
どう在りたいか?
例え、娘がどうであろうと、
私の幸せには差し支えないということ。
そして、
娘が今、生きていること。
どうせずっと在るのだから、今ここで共に生きている豊かさを受けとっていきたいな。
と、やっぱりここに行き着くのだ(笑)



