最近は、写真のことばかり考えている。

 

休みの日は、近所のスーパーに行く時でさえ、カメラを首から下げて出かける。

結局、何も撮らない、いや、人目を気にして撮れないことの方が多いんだけど、カメラを持っているだけで、世界に対するウキウキ感のようなものが増す。

カメラは自分に変化を与えてくれた。

 

 

 

先日、INORIのメンバーでグランピングに行った。

INORIとは、シンガーのKAZUMAさん率いる、いい感じのスクールだ。

 

 

 

そこでも、仲間の写真をたくさん撮らせてもらった。

写真を撮られることが好きじゃない方もいたと思う。後から申し訳なく思いました。撮らせてくれて本当にありがとう。

仲間の写真をたくさん撮ることができて、本当に楽しかった。

 

 

 

 

 

 

ファインダーを覗けば、ファインダーの中に見えている世界以外は無くなって、今見えている四角の区切られた世界だけになる。今見えている人物だけが世界にいる人になる。今見えている表情だけが切り取らて実在感を増す。

 

裸眼で外を見ている時よりずっとずっと、世界の豊かさに気がつける。人間の豊かさに気がつける。この世界が、人間が、とても面白くて可愛くて愛くるしくて、どんなに見ていたって飽きようのない存在だってことに気が付く。

 

本当は四六時中、裸眼じゃなくて、カメラを覗きながら生きていたい。世界は撮りたい瞬間に溢れすぎている。

 

 

 

 

仕事の時でさえ、写真に収めたい瞬間が多々ある。だから仕事の日も、カメラをぶら下げていけたらいいのになぁ、仕事中でも、写真を撮れたらいいのになぁって思っていた。

 

そしたら昨日、会社のインスタ担当の打診を頂いた。会社のみんなの様子を日常的に撮影して、魅力を伝えるような趣旨のものらしい。

早速願いが叶いそうだ。

嬉しい。

 

 

そうそう、今、職場のHP用の写真を撮らせて頂いている。

これまで、プロのカメラマンさんに撮ってもらっていたらしいのに、カメラ歴2ヶ月の自分が撮影して、大丈夫かな?って、めちゃくちゃ怖いけど、とりあえずたくさん撮って量でカバーしたい。

不安もあるけど、写真を評価してもらって、任せてもらえて、やっぱり嬉しい。

 

 

 

撮った写真を見返すと、自分の在り方がそのまま反映されていることに気が付く。どう世界と関わっているのか。どう人と関わっているのか。

消えたいくらい悔しくなることもある。

写真技術云々以上に、自分の至らない在り方ゆえ、写真の表現が制限されていることを認識させられる。

 

撮りたいように撮れるようになるためには、良い写真が撮れるようになるためには、この世に、人に、安心し、信頼し、こちらから歩み寄る必要がある。

理想の写真が撮れるようになるには、理想の自分になる必要がある。

って感じてる。初心者が何言ってんねんって感じだけど。

でもそう感じる。

 

 

 

 

 

あと最後に、カメラの自慢もさせて欲しい。

 

自分のカメラは良いものではない。

15年前に発売された一眼レフだ。ミラーレスですらない。(ミラーレスの方が何かと優秀)

 

それに、カメラを持つならNikon、ってずっと思ってきたけど、Nikonですらない。

ピントは何かと合わずに、ギコギコ言うばかりだし、画質は荒いし、モニターは狂っている。

色被りして青っぽく写すこともしょっちゅう。

 

 

それでもこのカメラがとても好きだ。

 

写す写真は、フィルムカメラのような風合いがあって、このカメラがかつて過ごしたイギリスの気候を思い出す。

TPOをわきまえない、馬鹿でかいシャッター音もだんだん可愛く思えてきた。

モニターが使えないため、いちいちファインダーを覗きながら撮影しなければならないのも手がかかるが、カメラとの一体感が得られるような気がする。

 

不便なものは、手がかかるものは、それだけ愛着が増すって言うけど、それもそうかもしれないけど、そうじゃなくてもこのカメラは可愛いんだよ。

ずっと元気に写真を撮らせて欲しい。

この子のおかげで、自分は豊かになれたんだ。

 

 

 

 

カメラと写真を撮ることが好きって話でした。

上手くなりたいね、写真。