前回「水戸市のリサイクル」について3行で作文した文章を、今度は“会話形式”の文章にしてみました。

 

 

 

まずは始めに書いた日本語です。

 

 

A 水戸市はゴミが多いって知ってる?

 

B 知ってるよ。だから最近水戸市のポスターに“もっとリサイクルするべき”って書かれているよね。

 

A そうそう。特に集めたいものは小型の家電で、 例えば、携帯電話、デジカメ、ゲーム機などだよ。

 

Bどこへ持っていけばいいの? お金はかかるの?

 

A 確か市役所だったかな。そこに黄色いボックスが置いてあるから、持って行って入れるだけ。無料だよ。

 

 

B ほんと?簡単。今度持って行ってみるよ。

 

A  いいね。私も行く。いつ行くの?

 

B まだ分からない。けどもしみんながこのようにしたら、水戸市のゴミの量は減るだろうね。

 

 

 

次に、翻訳しやすい日本語にします。

 

 

A 水戸市は多くのゴミを持っているって知ってる?

 

B 知ってる知ってる。だから水戸市は最近ポスターの中に「私たちは今よりもっとリサイクルすべき」と書いているんだね。

 

A そうそう。特に水戸市が集めたいのは小型の家電だってこと知ってる?

 例えば、携帯電話、デジカメ、ゲーム機このようなゴミだよね?

 

B 私たちはどこへ持っていけばいいの?お金はかかるの?

 

A 確か市役所に持って行かなければならないはず。水戸市はそこに黄色いボックスを置いているから、持って行って入れるだけ。無料だよ。

 

B ほんと?簡単、簡単。今度私持って行ってみるよ。

 

A えーいいね。私も同じように思うよ。あなたいつ行くの?

 

B まだ分からない。けどもしみんながこのようにゴミを持って行ったら、水戸市のゴミの量は減るだろうね。

 

 

 

次にタイ語です。

 

A คุณรู้ไหมว่าเมืองมีโต๊ะมีขยะเยอะ

 

B รู้ๆ  เมืองมีโต๊ะเขียนลงในโปรสเตอร์ว่าเราควรรีไซเคิลมากกว่าตอนนี้

 

A ใช่ๆ โดยเฉพาะเขาอยากเก็บเครื่องใช้ไฟฟ้าขนาดเล็ก รู้ไหม 

 เช่นโทรศัพท์มือถือ กล้องดิจิตอล เครื่องเล่นเกม (ขยะพวกนี้)ใช่ไหม

 

B เราเอาขยะพวกนี้ไปที่ไหนดี ต้องจ่ายเงินหรือเปล่า

 

A อาจจะต้องเอาขยะไปสำนักการมัน

เพราะเมืองมีโต๊ะตั้งกล่องสีเหลืองอยู่ที่นั่น 

เราเอาขยะไปที่นั่นแล้วใส่ขยะลงในกล่องนั้นแค่นี้ มันฟรี/ไม่ต้องจ่ายเงิน

 

B จริงหรอ ง่ายๆ ครั้งหน้าดิฉันจะลองเอาขยะไปดู

 

A โอหลอ ดีเหนอะ ดิฉันก็คิดเหมือนกัน คุญไปเมื่อไร 

 

B ยังไม่รู้ แต่ถ้าทุกคนเอาขยะไปแบบนี้ บริมาณขยะในเมืองมีโต๊ะจะน้อยลง

 

 

 

最後に、日本語とタイ語を比較して気づいたことは、

 

 

・タイ語は毎回主語を明確にする。日本語は言わない。

・タイ語は動詞またはSVOで表現する。

・日本語は“自然現象”で言う傾向がある。

   日本語→  黄色のボックスがそこに置いてある。

   タイ語→ 水戸市はそこに黄色のボックスを置いている。

・タイ語は文の語尾に、”確認”を表す言葉を使いながら会話を繋いでいく傾向がある。

 

 

この中でも、

 

1、主語を明確にする 

 

2、動詞またはSVOで表現する

 

この2つはとても大切だなと思いました。特に2つ目については、日本語は名詞だけで言っても伝わることが、タイ語は動詞を入れて動きを説明しないと伝わりません。また日本語は単語だけ言っても伝わることが、タイ語は何をどうしたいのか全文を言わないと伝わりません。

 

 

 

これは中国語も一緒で、私の中国語の先生が常々仰っている「中国語は動詞が好き、日本語は名詞が好き」この言葉がよくこの状態を表しています。

 

 

 

これに関連した内容を、最近三森ゆりかさんの著書“外国語を身につけるための日本語レッスン”で読み衝撃だったのが、日本人はことばを発する際に“動詞を考えていない”ということ。さらに驚いたのは、“何を言いたいのかを考えていない”こともあるいうことです。三森さんが仰っていたのは、「それは行き過ぎた“察する文化”が影響していて、特に言語感覚を育む幼児期に子供の考えを先回りして母親が理解してしまう傾向にあると、自分の考えを最後まで明確に言わなくてもどこでも自分の考えが相手に伝わるものと思い込んでしまう」ことが原因らしいのです。

 

 

 

これは衝撃でした…“察する文化”はいいところもたくさんあるけど、外国語を勉強するにあたっては、察しすぎるのも弊害になってしまうとは…まずはこの訓練から始めないと、会話の上達の道は程遠いのかなと思いました。

 

 

 

今後は“日本語”にも注意を払っていきたいと思います。