昨日、

白髭神社にお参りに行った。

おみくじを引いたら大吉であった。




『応援されている』

そう思った。








自分を曲げれない人がいる。


曲げれないから
他の人に合わせる事ができない。


当然、摩擦がおきて人間関係はぎくしゃくする。



自分の考えを
盲信するのは危険だ。


自分が間違っていた時に
修正ができないからだ。


状況に合わせて動けなくなる。
当然、上手くいかない。


自分が上等な存在と思っている人ほど
こういう傾向があるように思う。





人は
謙虚でなければいけない。

謙虚と自虐は全く違うから
そこにも注意が必要だけどね。



自分が正しいと信じ込むほど

反省する機会も、
自分を正す機会も、
誰かに謝る機会も、

失ってしまう。




人間はいつだって間違うのだ。

だからそのたびに
間違いを修正しなくちゃいけない。



その作業の邪魔をするのが
『自分は正しい』という盲信だ。


謙虚でいたら
間違いの修正はすぐにでも取りかかれる。

でも、
自分が正しいと信じている者は
その思い込みが崩れる状況になるまで
修正作業に取りかかれない。

当然、そんな頃には
最悪の状況に陥ってしまっている。


これが地獄なのだ。



そういうロジックを
未然に防いでくれているのが
道徳や宗教なのだと
この頃思うようになった。





『生きる』前提がまるで違う



徳の高い人というのは
こういうロジックを理解しているか、
肌で感じ取っているのだろう。




天より賜りし力で
人を傷つけること
私腹を肥やすことは
許されません



好きな言葉だけれど
これだって同じことだ。


間違いの修正を促してくれるし、
僕にとっては
『自虐』を防いでくれている言葉なのだ。



ずっと『ウィークポイント』と思っていた
自分自身の性質が、40年それで生きてきたら自然と鍛えられていた。今では強みになっている。



その強さは
天からの贈り物
大切にね


そう言われている気がする。
…奢らず、蔑まず…
そういう自分で居られる。




この力を
他の誰かのために使っていきたい。


これほどの運命への復習はないと思う。


怨みは怨みによって晴らされず
怨みは認め忘れることによって晴らされる



こういう言葉は
本当に多くの仏典にも道徳にも出てくる。
本当に。


大切なことだから
だからたくさん出てくるのだ。



怨みを
違うものへ

そのために
この生命は使うべきなのだ。


それを忘れずに生きていきたいと思います。




…神さまと約束だ…