本当にそれが願いでしょうか? | タオライアーSararaの倍音と静寂のハーモニーで絡まった心をほどき、毎日を自由でHappyに♡

タオライアーSararaの倍音と静寂のハーモニーで絡まった心をほどき、毎日を自由でHappyに♡

タオライアーSararaが奏でる倍音と静寂のハーモニーは、私たちの真理である自由と平安、幸せを思い出させてくれます♡
SoundBlessing(音の祝福)セッション・リコネクティブヒーリング・リコネクション を提供させていただいています。

 

なかにし♡未佳

あなたの中に在る全てとひとつである【内なる神】を思い出すことで

自分との信頼を取り戻し

あなたの人生を愛で満たす

ソウルサウンドライアーの倍音と静寂を奏でます。

 

目の前のことに、答えを探すことなく

ただ<音>を感じて委ね、本質である内側を一緒に味わってみませんか。

それが、あなたの魂の望む方へすすんでいく

はじめの一歩となりますよ。

 

 

 

 全てのセッションは<奇跡講座>の真理に照らし合わせて行っています 

ベルライアー音浴会・ワークショップ
ベルソウルサウンドライアー 演奏会
ベルSound Blessing(音の祝福)ライアー個人セッション
ベルリコネクション
ベルリコネクティブ・ヒーリング
 
 

 

 

東京都豊島区で

ソウルサウンドライアーで

Sound Blessing(音の祝福)を奏でている中西未佳です。

 

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梅雨に入ったと思ったら、猛暑続き。

 

体はビックリしている感じがしますが。

そんな時こそ、こころから体の方に

「大丈夫だよ、力まないで。力を抜いても大丈夫だからね」

そんな風に語りかけ、体の緊張を解いていきたいですね。

 

 

突然ですが・・・

日常を過ごしていて

「あぁ、なんかあの人苦手だな」

とか

「なんか威圧感があるから、出来ることなら逢いたくない」

とか

「なんか嫌なんだよね。関わりたくない」

とか、人に対してそんなことを感じることはありませんか?

 

 

ハッキリとした理由がある時もあれば、

ただなんとなく・・・曖昧で、と言う事もあると思います。

 

そんなことがあると、

ある人は「あの人と会わずにすみますように」と願ったり。

ある人は、「人を嫌ってしまう。苦手だと思ってしまう。」と言うことを入り口に

自分の中にある、自分の中の<思い込み・制限・価値観>に気づいて、

そこから自分の思い込みを手放して行く事へ繋げて行ったりすることも

あるでしょう。

 

そして、その目の前の「苦手だな・・・」と思う人が目の前からいなくなると

「あぁ!私の願いが叶ったんだ♪」と喜びます。

 

「自分の中の思い込みに気づいたら。そして手放したら、嫌な状況がなくなった」

と・・・

 

「願いが叶ったから、嫌な人・事象が目の前からなくなった」

と・・・

 

さらに言うなら

「願いが叶ったから、自分の周りには好きな人ばかりになった」

「好ましい人・事象に囲まれるようになって幸せだ」

と・・・

 

 

それは本当にあなたの願いでしょうか?

 

もう少し言うなら

「本質であるあなたの願いでしょうか?」

それとも

「自我であるあなたの願いでしょうか?」

 

 

<奇跡講座>には書いてあります。

「私たちの機能(働き)は赦す事だけだ」と。

 

ここにある<赦し>とは<訂正>です。

「間違っている誰かを許してあげる」

とか

「こんな好き嫌いのある自分を許してあげる」

とかではないのです。

 

自分の意識の中にある思い込みを「それは元々なかったね」「勘違いだったね」と「どこか、何かをきっかけに纏ってしまったことは勘違いで、それはただの思い込みだよ。本当はないものなんだよ」と訂正する。

 

それが<赦し>だと。

 

その赦しを受け取って、記憶に付けた判断を手放すだけなのです。

 

付けてしまった判断を外せば、記憶はただの記憶として保存される・・・

そうすると、出来事に振り回されなくなる、反応しなくなる。

安心が広がる、自由になる。

 

それだけ。

 

 

話を戻します。

 

だから、その苦手な人・嫌な状況がなくなるかどうかは主ではないのです。

それは、願いではないのです。

 

私たちの本当の願いは、

記憶に付けている判断を赦していって、訂正していって

「ひとつところを思い出せますように」

 

それだけなのです。

 

それのきっかけを差し出してくれるのが、目の前の人であり事象です。

だから、赦しを手伝ってくれているその人が

目の前に居続けようが、去って行こうがそれはどうでも良いことなのです。

 

その自分の中の赦しの先に、もしかしたら

その人がいなくなる・その事象がなくなる・・・と言うこともあるかもしれません。

そのまま何も変わらなくても、自分の方が「あれ?なんとも思わなくなってる!」「なんであんなに嫌だったろう?」と思うようになっているかもしれません。

 

その人と関係が良くなったとしても、そのままでも、それはどちらでもいいのです。

(赦しがあれば、何かしらは必ず変化があると確信していますが・・・)

 

それらはただの副産物です。

 

 

その願いの始まりにあるのは

自分を何者だと思っているか・・・

 

 

自分は<神>が<神ご自身>と全く同じに創造された<神の子>である

・・・と言う前提・見なしが大切です。

 

<神の子>には、怖れ・心配・不安・苦痛はないのです。

 

それらを持っている・・・と言う誤解を赦す・訂正するために

<神の子>である<兄弟>がいてくれるのです。

 

その<兄弟>を排除するのが願いではないのです。

私たちの<知覚>にはどのように見えていても、

ひとつところを思い出す<助け合い>として、

<兄弟>は現われてくれるのです。

 

 

願いは<赦し>だけなのです。

 

 

きれい事に聞こえるでしょうか。

宗教的に聞こえるでしょうか。

もちろん宗教とはなにも関係ありません。


そんなことも超えて

そこから見える世界を私は見たい。


そして、セッションを通してこのことを

みなさんとわかちあっていけたら幸せです。

 

 

HPはこちら↓

 

 

今日も読んでくださり、ありがとうございます鳥の羽根鳥の羽根鳥の羽根