先日、友人たちと話していた時のことです。

 

あるドラマの話題になりました。私は観ていなかったのですが、

その作品は結末が曖昧な描写だったため、放送終了後にXなどで

「結局、どういう意味だったのか」

と視聴者による考察が盛り上がっていたそうです。

 

そういえば、先日読んだ『イン・ザ・メガチャーチ』も同じでした。

 

 

 

 

「えっ、ここで終わるの?」

 

そんなところで物語は幕を閉じます。

 

登場人物がその後どうなったのか。

とても気になるのに、続きが読めません。笑

 

物語をどのように受け取るかは、

読んだ人それぞれに委ねられているということなのかもしれません。

 

でも、ほとんどの人はこういう終わり方が少し苦手だったりします。

 

すっきりしない。

答えが欲しい。

正解を知りたい。

 

結末が明確でないと、私たちの心はざわつきます。

 

そして、「分かりやすい答え」が提示されると、つい飛びついてしまう。

その背景には、不確実な状態に耐えることの難しさがあります。

 

 

2025年に、坂口志文さんと北川進さんがノーベル賞を受賞されましたね。

その際、日本経済新聞にノーベル賞受賞者たちの

共通点について書かれた記事が掲載されていました。

 

そこでは、受賞者たちに共通する哲学として

 

「答えを急がない」こと

 

が挙げられていました。

 

分かったつもりになりそうな場面でも、

「本当にそうだろうか」と立ち止まる。

 

量子物理学のように複雑で直感に反する世界では、

理解できないという焦りやいらだちに耐える力が求められます。

 

理解とは、一気にたどり着くものではなく、

少しずつ深まっていくものだからです。

 

分からない状態は、決して心地よいものではありません。

 

 

脳は認知的な負荷を減らしたいので、なるべく楽な判断をしようとします。

不安やストレスを減らしたいという心理から、

正しい答えよりも、安心できる答えを選びたくなってしまうのです。

 

でも、人生は明確な答えがないことの連続です。

 

「あの選択で正しかったのか」

「あの人は本当は何を思っていたのか」

「これからどうなるのか」

 

どれも、その場では答えが出ません。

 

だからこそ、「分からないまま」を耐える力は、

人生をしなやかに生きるために必要なのかもしれません。

 

ドラマや小説の結末に「えーっ、そこで終わるの!?」と、

ざわついた時は、ぜひこう言ってみてください。

 

「くっそー!こりゃ、一本とられたな」と。笑

 

制作側の思惑どおり、見事に心を揺さぶられた証拠です。

 

そして、そのざわざわを少しだけ味わってみる。

 

案外、その余白の中で、

自分なりの答えがゆっくり育っていくのかもしれません。