「アーティスト」は「絵を描く」という意味だけではありません。
一般的にはより広い意味を持ち、今後のビジョンを描き、それを行動に移すことも含まれます。また、手話歌パフォーマーやインフルエンサーなどもアーティストの一種と考えられます。
手話指導も、質によってはアーティストの仕事の一つになる場合があります。
以下に、私が以前から伝えたかったことを書きます。
まず、日本手話は「動詞」の後に「主語」が来るハワイ語と似ている点があるということです。よく似ていませんか?
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ハワイ語〔ハンドモーション〕・・ Hula(踊る)/au(私)
日本手話・・・・・・・・・・・・ 踊る(フラ)/私
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手話歌をしていると、無意識に使ってきた表現の意味に気付くことがあります。
例えば、小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」の歌詞「お嫁にゆくの」にも、
日本語・・・(日本語対応手話)|嫁/結婚|
日本手話・・・(両手の向きを変えて)|結婚/嫁|、または、文章によっては(両手の向きを変えて)|結婚| となります。
フラと同様、手話も進化すると言う人もいますが、人によっては|嫁/行く|、もしくは|嫁/結婚|の表現に違和感を感じることがあります。
そういった手話を理解できるのは、聾魂を持つ人たちでしょう。
誤解してほしくないのは、私は最低限のマナーさえ守っていれば、事情がそれぞれあると理解していますので、嫌いにはなりません。
たとえ不満があったとしても、嫌いという意味ではありません。むしろ、世の中は同志だけでは生きていけないことも十分承知しています。
それから、ろう者の心理は体験しなければ理解できないかもしれません。それは構いません。ただ、今でもろう学校で手話のない授業を受けて苦しむ子どもたちがいるので、1つでも知っていただきたいと思っています。
ろう者の本心を話す人は稀です。表面的なお付き合いであっても、私は反対ではありません。
一例ですが、「目と目を合わせるのがろう者の礼儀」という教えも間違いではありませんが、すべてのろう者がそう思っているわけではないことも知ってほしいです。
私の場合、目をそらしても話は理解していますが、相手がなぜ途中で話を止めるのか不思議だった時期もありました。
相手が話すときはまっすぐ見ていますが、自分が話すときに考える際はどうしても目をそらしながら話してしまいます。
また、手話通訳者であれば、昔は聴者の親が子どもがろう者で手話を使うのをみっともないと考え、虐待していた家庭もあることを知っていると思います。うちの家庭では、歳の離れたろう者の兄がいるせいか、虐待を受けた記憶はなく、愛されて育ってきましたが、虐待を見かけたり止めたことがある人や相談を受けたことがある人は、それが単なる動画の非公開に結びつくこともあります。
ろう教育の面においても、ろうの子どもたちが訴えていても、裁判官でさえろう者の心理を十分に理解していない部分があります。少しでも知っていただければ幸いです。
文章が支離滅裂になってしまいましたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
重ねてお礼申し上げます。
本当にありがとうございました。
皆さんにとっても、大変良い毎日でありますよう、心から祈願しております。