平野眞悠です。
最近ブログの方向性を変更し、
新しく読者になっていただいた方も
増えてきましたので、
改めて自己紹介をしたい
と思います。
小さな田舎町で生まれ育つ
私は、三重の小さな小さな
田舎町(山村)で生まれました。
実家は両親と祖父母と曽祖母と
兄弟3人の8人家族という大所帯。
両親はサラリーマンでしたが、
農地もあったので、米作りをしながら
私たちを育ててくれました。
すでに過疎化が
始まっていた地域でしたので、
入学した小学校の
各学年の人数は
なんと、一桁台。
私の学年は多い方で
9人でした。
全校生徒数にすると
40数名という、
小さな小学校でした。
ご近所さんは
全員顔見知り。
誰がどこの学校に進学し、
どこに勤めていて、
どこからお嫁に来たのか?
など、みんな知っていて、
個人情報はまるっきり
筒抜けの場所でした。
それほど世間が狭い町で
育ちましたので、
絶えず人の目を
気にすることを覚えて
育ちました。
天真爛漫な幼少期から、挫折の日々を味わう思春期まで
野山でレンゲを摘んだり、
シロツメクサを摘んだり、
オタマジャクシをすくったり・・・
そんな天真爛漫な
幼少期を過ごしましたが、
小学校に入って
挫折につぐ挫折を味わうことに。
まず私は2月生まれと
いうこともあり、
4月生まれや5月に生まれの子
よりも脳の発達が遅くて、
特に低学年頃は授業について
いけなかったんですね。
特に算数で大苦戦(笑)
暗記は得意な方だったので、
掛け算の九九は覚えたのですが、
筆算は全く理解できなかったのです(笑)
学年が上がると
徐々についていけるように
なりましたが・・・
小3くらいまでは、完全に
ドロップアウト状態でした(笑)
しかし、次に私に
立ちはだかったのは
同級生女子からのいじめでした。
私が特別何かをした
つもりもないのに、
「生意気だ」と言われ、
いじ められるようになります。
学年の人数が少ない中
(なんせ9人でしたからw)
いじめに合うと、
完全に孤立してしまうもの。
授業が終わると
いつも人がいない場所に隠れ、
地面に石や木で絵を描いて
ひっそりと過ごしていました。
両親には
心配をかけたくなくて
学校での出来事を
一切伝えることはなく、
もちろん先生にも、
誰にも相談することもなく
自分の心の中にしまいこんでいたのです。
こうした出来事により、
自分らしくいると
いじめられる、
自分らしさを抑えることが
何よりも大切だ、
このような思い込みを
持つようになります。
私にとって、
小学校時代は
相当精神的に鍛えられた
時代でした。
中学時代の恋とクラブと勉強と
中学は学年の人数が増え、
親友もできました。
(と言っても学年1クラスのみ、
全員でも41名でしたが)
クラブ活動は
本心ではバレーボール部に
入部したかったのに、
母に勧められるまま、
軟式テニス部に入部。
何度もバレー部に
転部しようとしましたが、
転部して
上級生からのいじめなどに
合わないか?と不安になり、
自分の本心を抑え、
そのままテニス部員として過ごします。
勉強は英語と音楽と
社会が好きだったので、
それらの教科だけは
いつも学年1〜2位をキープ
していました。
(と言っても、41名中ですが笑)
恋愛には
無頓着な私でしたが(笑)
中学三年生になった頃、
ある男子から告白されます。
告白なんだけど、
私が求めていた告白ではなく、
みんなの前で、
自分の気持ちを
ぶっちゃけてくれた、
そんな感じでした(笑)
それって
彼にとっては勇気がいったこと
だったのだと思いますが、
当時の私にとっては
なんで、こんなタイミングで?!
と、怒りすら覚えるような
出来事でした。
当時の私はからかわれることが
何よりも恥ずかしかったですし、
目立つことにも拒否感を
持っていたものですから、
みんなの前で告白なんて
とてもうれしいこととは
思えなかったのです。
公開処刑を受けたような
気持ちになった私は、
正直彼のことが
嫌いではなかったのに、
彼だけにはツンケンした
態度を取るように(笑)
(めちゃめちゃ意識してたんですよね)
それは卒業まで続きました。
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