先月6月19日に私の父が永眠しました。
去年8月の父の誕生日に肺炎になり入院しました。
それからずっと入院していて、そのうち父の足が壊死しはじめました。
糖尿病によるものだと思います。
父の足はもう血が通っていなくて、血液検査や点滴するのもやっとで…
首に刺して点滴することも…
それでもまだ今年の4月くらいまでは、私のこと誰だかわかる?って聞いても父は答えてくれていました。
母は最初は毎日、そのうち1日置きには病院に行っては父の顔を見にいきました。
私と弟もできる限り病院に行っていました。
今年の4月くらいから急にまた体調が悪くなり、みるみる痩せ細り、本当に皮と骨…
足も壊死した指を切断したり…
本当は足を切断と言われたけど、本人もそれは望んでないし、何より父の体力が持たないので指の切断になりました。
膝も骨が見えてきたり…(見せてはくれないけど)相当痛かったと思います。
本当は去年の暮れに実家の自宅に戻り、母が面倒見ることに。
母だけでは面倒見きれないので、専門の方にオムツ交換などは頼んでいました。
それもわずか2週間の間に、熱を出したりで、3回ほど入退院の繰り返し。
父は自宅に戻りたがっていたので、その気持ちに答えてあげたかったし、母は自宅で看取りたい気持ちが強かったようです。
リースで介護用ベッドを借りたり、エアコンを新しくしたり、流動食を作ったり買ったり…父が快適に過ごせるようにしてたけど…
父は自宅で面倒見るのは難しいとなりました(´・ω・`)
ここ2ヶ月くらいはずっと呼吸するのも体全体で息してる感じ。
口に呼吸器をつけていてもです。
どうやら肺の3分の2くらいに水が溜まっており、呼吸するのも辛かったと思います。
亡くなる少し前になって、父も痛いと訴えてて辛いし、薬で眠らせてあげましょう。
ただそうすると二度と目覚めないと医師に言われたそうです。
それを聞いてえっ…ってなりました。
弟が今すぐにそうなるのは嫌だと言い、うちの子供達もおじいちゃんに会いたいと言ったので本当はその週末まで待ってもらう予定だったんです。
その時はまだそんなにすぐ亡くなるなんて思わなかったので('・_・`)
私と母と、私の旦那はそれを聞いた翌日(平日)に父に会いに行きました。
旦那が父に会うのは半年ぶりくらいでした。
病院も未だに面会は一日に2人まで、それも10分間しかありませんでした。
その時は3人で面会に行きましたが(そこらへんは融通をきかせてもらいました)いっぺんに部屋に入れるのは2人まで。
私と旦那、母と旦那で面会しました。
旦那が父の手を握った時、何か言いたそうに手を握り返してきてしばらく離さなかった。
その2日後に…夜9時ぐらいに母から連絡があり、病院から父が危ないと連絡をもらったとのことですぐに旦那と私で車で向かいました。
病院に到着した時には父はもう亡くなっていました。
ピーーーーーー
機械の音が鳴っていました。
嘘でしょ…
弟は先に着いており、母は忘れ物を取りに行っていました。
医師が来て、死亡確認をして…
母は葬儀屋さんに連絡して、病院に来てもらうまでに1時間程でした。
父がまだ動けていた頃、母が働きに出ていた頃、父は一人で自分が死んだ時にここに頼んでくれと葬儀屋さんを探していました。
母と2人分会員カードを使っていた(´・ω・`)
おかげでスムーズに、父の望んでいた通り、火葬だけのプランでやりました。
見積もりまでとってたけど、実際はそれから5年くらい経ってるし、いろいろオプションつけたり?もあって、30万くらいが60万くらいに:( ;´꒳`;)
それが安いか高いかはわかりませんが、父の望んでいた通りにしてあげようという気持ちでした。
親戚、父の妹(私の叔母)も呼ばず、母と弟と私たち家族だけでやりました。
姉と兄は知らせていません。
(話すと長くなりますが、複雑な家庭事情です)
火葬の前日、私たち4人で父の旅支度をして…
亡くなった時には泣く余裕もなかったけど、その旅支度の時に涙が込み上げました。
旦那の顔を見ると旦那も泣きそうになっていました。
今思うと最後に会った旦那、珍しく父の面会に来た旦那を見て、父は何か悟ってしまったのかな…
そんな気がしてなりませんでした。
父も旦那の顔見て、安心して逝けたのかな?
そう思うことにしました。
父の手や足に白い布みたいなのを順番につけてあげて…
亡くなった時は口を開けて苦しそうな顔をしてたけど、その時は口は閉じていて、口の中に綿が詰められていて、綺麗な顔をしていました。
それまでずっと生きてた時はゲッソリしてたから…
母も大泣きするかと思ったら、あまり泣かなかった。
きっとどこかでもう覚悟をしていたのだと思う。
それは私も同じでした。
自分ももっと泣くだろう…そう思ってたけど…
旅支度もそうだけど、こうやって亡くなった事より初めてのことばかりでそんな余裕がなかったのかもしれません…
火葬された父の姿見ても、どこかまだ信じられなくて…
もう二度と会えないと思うとさみしくて、昔のことばかり思い出すのです。
よちよち歩くようになった私はよく父に散歩に連れて行ってもらって駄菓子を買ってもらってた記憶。
小学校の運動会で、りんご飴を買ってもらったのに落としてしまって…でもそれが言えなくて食べたのを装ってた記憶。
酒乱で母に手をあげ、母と家出した記憶。
酔っ払ってはしつこく声を荒らげて母と喧嘩してた記憶。時々とばっちりを受けてた私の記憶。
家族でキャンプに出かける途中、姉家族の家に向かう途中で中央分離帯に乗り上げ、車が壊れた記憶。
母がパチンコで借金作ったことを母と喧嘩した時に父に暴露し、私が貸してたお金を…父が貯めてた500円玉で全部返してくれた記憶。
私が元彼と交通事故で顔に青あざ作って帰ってきたとき、一緒に病院に付き添ってくれた記憶。
私が長男を出産する時くらいまで、車で送迎してくれてたんですが、旦那が後部座席に乗り込もうとしてた時に、乗り込んだものだと思ってそのままドアを開けたまま発車した記憶(この時は顔面蒼白になりました:( ;´꒳`;))
長男が卒園するくらいの時に謝恩会で、次男と三男を見ててほしくてうちに来るように頼んでたら、朝から酒飲んでて自転車で転んで血だらけでなって現れた記憶。
それから反省して、酒を飲まなかったらアルコール離脱症状が出ておかしくなってしまった記憶。
普段は優しいけど、お酒が入ると人が変わったように気が大きくなり、饒舌になっていた父。
運転すると煽り運転されたと思ってよく喧嘩しそうになってた父。
いろんなすごい思い出を残してくれた父。
今はもう会えないけど、まだどこかで生きてる感じがします。
父と祖父母が今仏壇にいるんですが、母がその前でうとうと昼寝したら、落ちるはずのない位牌が落ちてきたんですって😳
ど、どこかで見てるのかもしれませんねキョロ(・ω・`三´・ω・)キョロw
今月末にちょっと早いけど四十九日の納骨をしに行きます。
それには叔母も来てくれるようです。
私はあまり父と会話をまともにすることはもう何年もなかったから、病院に会いに行っても何を話したらいいのかよくわからなくてただ様子を見に行くだけだったのだけど…
会いに行く度に写真は撮っていたので、それをまとめて母に何かしらの形であげようと思います。
しばらくブログ書く気にもなれなかったけど、残しておきたくて書きました。
亡くなったからもいろんな手続きがあり、母も大変そうだったので一日使って役所行ったり、書類用意したり手伝ってきました。
だけど不備がいろいろあり、一日でできるものでもなかった…:( ;´꒳`;)
光熱費の名義変更やら、年金のこととか、いろいろやることがたくさんあるんだなって、わからないことだらけですが、できる限りサポートはしてあげたいと思いました。
お父さん今までどうもありがとう。
天国で見守っててね。