黒い霧、巨大な物の怪。
清野はあれから、その事が頭を離れなかった。
書物を持ったまま、宙を見ていた。

名も知らぬあの男…
それが、謎を深める。
田村麻呂の事を良く知っている。
貴族の中でも一目を置かれている男。
その田村麻呂を知っている。
それは、それなりの身分である証でもある。
「分からぬ…あのような男が…」
貴族の様で、貴族ではない。
服は汚れ、放浪癖のあるような男。
現れた物の怪にも畏れも見せなかった。
清野は真魚を量りかねていた。
そもそも…
清野が持っている秤。
それで、真魚を量れるはずがない。
清野の常識が通用するほど、真魚の存在は小さくない。
それすらも、清野は気付いていなかった。
「気になる…」
物の怪と同時に現れた黒い霧。
目が離せなかった。
吸い寄せられるように身体が動かなかった。
だが、あの男は畏れも見せていなかった。
清野は、無意識に立ち上がった。
そして、付き人を呼んだ。
「何かご用でしょうか?」
付き人は頭を下げた。
「出かける…」
「どこへいらっしゃるのでしょうか?」
付き人には、清野の考えが伝わっていない。
「昨日の黒い霧が気にならぬのか?」
「ですが、物の怪が…」
付き人は好奇心よりも、畏れが勝っているようだ。
「俺は気になるのだ…」
冷たい視線を付き人に向けた。
「私が…見て…参りましょうか…?」
清野の機嫌を伺った。
「その必要はない、俺が行く…」
清野は歩き始めた。
付き人は仕方なく後をついて行った。
美紗の変化を、紗羅は見逃さなかった。
目が覚めて、美紗がいない事に気がついた。
真魚と嵐の姿が見えなかった。
気になって外に出た。
岩戸の辺りに光が落ちた。
「あれは…」
神の獣と真魚。
そして、その側に美紗が立っていた。
「美紗?」
紗羅は我が目を疑った。
伝わる波動が、美紗ではなかったからだ。
紗羅は歩き始めた。
だが、それは美紗であった。
美紗が紗羅を見つけ走って来た。
そして、二人は抱き合った。
「美紗?本当に美紗なの?」
紗羅は抱きしめて尚、その事実を疑った。
疑いようのない事実を、受け入れることが出来なかった。
「佐伯様、嵐…ありがとうございます…」
「俺は何もしていない、それは美紗の力だ…」
真魚は更にその事実を告げた。
「紗羅を心配する心が、開いたのかも知れぬ…」
そして、そう付け加えた。
「見違えるよう…」
紗羅が美紗に微笑んだ。
「生まれ変わったみたい…」
美紗が母の言葉にはにかんだ。
だが、その言葉は嘘では無い。
今までの美紗とは、明らかに違う。
紗羅は、その事実を感じ取っていた。
「一体、どうすれば、こうなるのかしら…」
紗羅には興味があった。
「大地を見たの…空の上から…」
「大地を…見た?」
美紗の言った事が、紗羅にはぴんとこなかった。
「生命の渦が見えた…」
大いなる大地の意思。
生命の波動。
紗羅にもようやくそれが何か見えてきた。
「見て、感じれば、疑いはしない…」
真魚が更に言った。
口でどう表現しようが、体験に勝るものはない。
美紗は、それを身をもって体験したのだ。
「よかったわね…」
紗羅が美紗に微笑んだ。
「紗羅も見に行くか?」
嵐が珍しくその気持ちに寄り添った。
「いいの?」
紗羅の喜びの波動。
それが広がっていく。
「昨日の煮物は美味かったからな…」
神の獣がそう言っている。
「美紗も乗れ…ついでだ…」
二人が神の獣、嵐の背中に乗った。
「行ってこい…」
真魚が嵐に声をかけた。
「では、行くか…」
その声と同時に、姿が消えた。
「どうやら…俺には客のようだ…」
真魚が笑みを浮かべていた。

続く…
-この物語はフィクションであり、史実とは異なります。
実在の人物・団体とは一切関係ありません-