「い、今、この犬喋った?」
その声を、結希は確かに聞いた。
「これは内緒だ…」
真魚を見ると、口元に人差し指を当てていた。

「まさか、喋れるなんて…」
結希は驚いていた。
「何をこそこそ話してるんだ!」
兄が、二人の話を気にしている。
「だいたい、この男、信用出来るのか?」
「俺たちのことを調べに来たんじゃ…」
「大丈夫、勾玉だって持っていたでしょ!」
「それは、私が保証する!」
兄の疑う気持ちは、分からぬでも無い。
たった今、逢ったばかりだ。
だが、時間では量れない何かがある。
それを、結希は感じていた。
「お主の名は何という…」
真魚が兄に聞いた。
「俺は有我だ、覚えておけ!」
高飛車な態度で、何処かに消えた。
「ごめんなさい、兄は貴族が嫌いなの…」
結希は、兄の非礼を詫びた。
「俺は神だぞ…」
嵐が、小声で結希に言った。
「それでか…」
結希に驚いたような様子は無い。
言葉を話すことだけが、意外であったようだ。
「何か食わせてくれるのか?」
嵐の興味は、食べることだけだ。
「後でなら、何とかするわよ」
「なら付き合ってもいいぞ…」
嵐は結希にそう答えた。
海賊の世話になった方が、良い物が味わえると考えたのであろう。
「ひとつ、結希に確認したい事がある…」
真魚は話を切り出した。
今は廻りに誰もいない。
他の者に聞かれては、まずい話だ。
「海賊の頭が、船から落ちたりするのか…」
「鰐がいると分かっている海にだ…」
それが、結希の父が命を落としたきっかけであった。
「私は、ないと思っている…」
結希がはっきりそう言った。
「俺の友の、入鹿魚が斬られたのだ…」
「入鹿魚?」
突然の入鹿魚の話。
結希の思考が、混乱している。
「人に慣れている…ひょっとしてと思ってな…」
結希は、真魚が何を言いたいのか、わからなかった。
「これは俺の想像だが…」
「鰐を呼ぶために、斬ったのではないかと…」
「鰐を呼ぶためにな…」
結希の心が揺れた。
「父の死は、仕組まれたものだと…」
思考の中で、積み木のように何かが重なっていく。
結希がしばらく考え込んだ。
「父は何故…声を出さなかった…」
それが、結希が導き出した、最後の疑問であった。
海に落ちたとき…
犯人の名を叫べば、誰かに聞こえたかも知れない。
だが、それをしなかった。
「その言葉の通りではないのか…」
真魚は、自らの考えを結希に告げた。
「叫ばなかった…叫べなかった…」
結希の瞳から涙が流れた。
「兄上か…」
結希の心の中に、兄の姿が浮かんだ。
「兄上が…父を…」
結希から、怒りの波動がにじみ出ている。
真魚が、結希の腕を掴んだ。
「もう一つ、話さねばならぬ事がある…」
その瞬間、怒りの波動が切れた。
「心を静めて、良く聞くのだ…」
真魚が、結希の目を見た。
結希が素直に頷いた。
「父を看取った友は、優秀な薬師だ、身体も看る…」
「その友が言っていた…」
「病に冒されていたと…」
それを聞いた結希の瞳から、涙がこぼれた。
「何故…どうして、言ってくれなかったの…」
「私は、あなたの娘なのに…」
結希は、心の中の父に言った。
「人はいずれ死ぬ…父は自らの死を選んだのだろう…」
「自らの…死を選ぶ…」
結希はその言葉を噛みしめた。
「いつ死ぬかも知れぬ…見知らぬ誰かに殺されるならば…」
真魚は、その答えを結希に委ねた。
「愛する者に…殺される方がいい…」
結希は、それを自らの言葉とした。
父は兄の心を見抜いていた。
その事実を知った。
「最初は勾玉と共に、沈むつもりだったのかも知れぬ…」
「後継者争いを避けたんだ…」
結希は父の考えを理解した。
「勾玉が無ければ、頭は決まらない」
「普通で考えれば、有我が頭になる筈だ…」
「結希が引けば争いは起こらない…」
真魚は父の考えを代弁していた。
「待って!」
「じゃあ、どうして、勾玉を友達に託したの…」
結希はその事が腑に落ちなかった。
「残念だが、最後の言葉は聞き取れなかった…」
「処分してくれ…と言ったのかも知れぬ…」
真魚が言った。
「だけど、あなたが受け取った…」
「込められた父の想いを、感じ取った…」
真魚は、結希の考えに頷いた。
「この想いを、受け取れる者は、限られている…」
真魚は、結希にその力を告げた。
「あれも…あなたがやったの…」
結希が見た生命の渦。
「結希の霊力を見たかったのだ…」
真魚に触れられて、それが消えた。
「でも、それだけじゃない…あなたは教えてくれた」
感動の波動は、心に刻まれている。
「結局、父の願いは…」
「あなたが、教えてくれたんだ…」
空を見上げて涙を拭いた。
「ありがとう…」
結希は、真魚に感謝していた。
「ちょっと、待って!」
突然、結希が大切な事実に気がついた。
「ひょっとして…それだけの為に…来たの…」
「海賊がいると、分かっていて…」
真魚の行動に、結希は呆れていた。
「海賊の友なら、熊野にもいる…」
「熊野の海賊!?」
結希は、信じられなかった。
海賊であれば、誰でも知っている。
「有我を許してやれ…それが、父の最後の願いだ…」
「そして、本当の願いは…」
「そなたの名に…込められている…」
真魚が、星空を見ていた。
「あなたって人は…」
結希は呆れて、何も言い返せなかった。
真魚と二人でいる。
「前にも…こんな事があったような気がする…」
結希の心の中に、不思議な感情が溢れてきた。

続く…
-この物語はフィクションであり、史実とは異なります。
実在の人物・団体とは一切関係ありません-