弦と千潮は、仕方なく寺に帰った。
寺の少し手前で、前鬼と後鬼の姿が消えた。
「朝までの我慢よ…」
千潮が弦に言った。
それが、後鬼との約束であった。
「だけど…」
弦が千潮を見ている。
「どうしたの?」
「いや…強くなったなって…」
弦は感じたままを言った。
「行くか…」
意を決して、弦と千潮は門をくぐった。

弦は、本堂で朝までの正座を言いつけられた。
「よくもまぁ、神や仏の前で、人を殴れるものじゃ…」
弦の顔は、殴られたせいで、少し腫れていた。
後鬼はその様子を、物陰から見ていた。
殴る者と、殴られる者。
「弦には、もうわかっておるであろう…」
後鬼がつぶやいた。
どちらが次元の高い課題に取り組んでいるか…
それは、誰でも分かるはずだ。
だが、弦は、意外に思っていた。
もう少し厳しい結果も、考えの中にはあった。
足腰が立たないくらいまで、殴られたこともあったのだ。
それに比べたら大した事はなかった。
ふと、目の前の仏像が目に入った。
弦は、その仏像の名前を知らなかった。
気持ちの入らない修行。
そんな自分に、呆れていた。
「形はないのであったな…」
真魚の言葉を思い出した。
神や仏に形は無い。
形の無い筈ものが、目の前にある。
弦は目を瞑り心の奥を覗いた。
心にも形は無い。
だが、存在している。
その奥底に向かって意識を向けた。
底がない、見えない。
「どこまで…どこに、続いているんだ…」
心の端。
弦は見てみたくなった。
どんどん進んで行く。
すると…
光が見えた。
その光に、目を向けた。
「あれは…あれは…」
光が弾けた。
弦は一瞬で、光に包まれた。
気がつくと、金色の世界の中であった。
『よくぞここまで…』
声がした。
だが、言葉では無い。
「言葉では無い…声…」
聡真や那海が言っていた。
金色の光の粒が、舞い下りてくる。
弦は、手を広げてそれに触れた。
「これは…」
涙が出た。
止まらなかった。
完全なる慈悲の心。
この光の粒、全てがそうだ。
その数は…無限。
目の前にある、大いなる光。
その形が変化していく。
「そうか…関係ないんだ…」
形など意味が無い、必要が無い。
絶対的な空間では、形など無意味だ。
必要としているのは、見る側の心だけだ。
『これを…』
弦はその声に従った。
両の手でそれを受けた。
手の上に集まる生命の粒。
それが形になっていく。
「これは…」
見たことがある。
「宝珠…」
弦はそれを抱きしめた。
その中に込められた慈悲の心。
尊く…
儚い…
愛しい…
その全てに胸を締めつけられた。
止まらない涙が、その感動を示していた。
それを、抱きしめたまま泣いた。
どれだけの時間が、過ぎたのだろう。
気がつくと、元の世界に戻っていた。
「何だったんだ…」
弦は、宝珠を持っているはずの手を開いた。
そこに、宝珠はなかった。
「やっぱり…無いんだ…」
弦は少し落ち込んだ。
「気付かぬのか…」
声がした。
後鬼であった。
「良いものを頂いたのう…」
「えっ!」
弦が廻りを見渡している。
「形の無いものが、この世に存在できる訳がなかろう…」
後鬼がそう言って、胸を指さした。
「あっ!」
弦は思わず両手で胸を押さえた。
「ないのか?」
後鬼が笑っている。
「あ…ある…」
弦は泣いていた。
「頬をつねってみろ…」
後鬼に言われたままに、頬をつねった。
「夢じゃ無い…だけど…」
弦は気がついた。
「うちの仕事を、取られてしもうたわ…」
後鬼がそう言って笑った。
「こんな事って…」
弦の頬の腫れが引いていた。
弦は、全ての存在に感謝していた。

続く…
-この物語はフィクションであり、史実とは異なります。
実在の人物・団体とは一切関係ありません-