「あそこか…」
こちらからは見えない。
岩場の陰に、後鬼は飛んだ。
岩場に一人の男が打ち上げられていた。
後鬼が側に行き、手を当て確かめた。

男の片足がおかしい。
もぎ取られたように、一部が無かった。
「どうなんだ…」
側に来た前鬼が、後鬼に聞いた。
後鬼は、黙って首を横に振った。
後鬼が、理水の瓶を出した。
蓋を取り、男に一滴だけ落とした。
金色の光が、男の身体を包んでいく。
男がうっすらと目を開けて、口を動かした。
「あ…」
その言葉は、聞こえなかった。
そして、手に握りしめていたものを、後鬼に渡した。
「これは…」
後鬼が、言いかけて止めた。
男は目を閉じ、大きく息を吸い込んだ。
それが、この世での最後の呼吸であった。
後鬼が与えた最後の力。
それが、この世との、別れの儀式になった。
亡骸だけが、ひっそりと残された。
「海賊の一味か…」
前鬼が、その男をそう判断した。
「この傷は…」
無惨にも、肉がもぎ取られている。
今まで息があったことが、奇蹟と言えた。
「鰐か…」
後鬼はそう判断した。
「そう言うことか…」
「真魚殿が見た光…」
「海賊共は、鰐に襲われたこの男を、捜しておったのじゃな…」
前鬼が昨夜の出来事を結びつけた。
「これも何かの縁じゃ…葬ってやるか…」
後鬼の手の平に残された想い。
それを、見つめながら、後鬼は言った。
「父ちゃん、一つも鳥がいないよ…」
聡真は、いつもとは違う何かを感じ取っていた。
「今日は、良くない日ということだ…」
父の万次が、そう言った時であった。
「何だ!あれは!」
聡真が何かを見つけた。
海の上に何かが突き出ている。
「こっちに来るよ!」
聡真の叫びで、万次がその方向を見た。
「いかん!鰐だ!」
万次が叫んだ。
「鰐だ!皆逃げろ!」
万次の叫びで場に緊張が奔った。
漁師の仲間達は身構えた。
銛を持って、逃げながらその時に備えた。
「あんな大きな鰐…見たことがないよ…」
海面に出た背びれが、異様なほど大きい。
それが、近寄ってくる。
「父ちゃんそっちは!」
「聡真、銛を持っておけ、俺たちがおとりになる…」
万次は、沖に船を漕ぎ始めた。
大きな背びれが、近寄ってくる。
もうすぐと言うところで、背びれが海に消えた。
「落とされるな!しっかり持っておけ!」
万次は、次の動きを見据えて、そう言った。
だが、次に背びれが見えた時、船の向こうであった。
「皆が…」
万次は、水の中に足を突っ込み動かした。
魚が痙攣するような振動が、水の中を伝わっていく。
その瞬間、背びれが横を向いた。
大きい。
横になったことで、改めてその大きさを感じた。
向きを変えて向かうのは、聡真と万次の船だ。
それ以外は何も無い。
聡真は、船の前で銛を構えた。
手足が震えていた。
「来るぞ!」
万次の声と同時に、巨大な口が船を嚙んだ。
「聡真、目だ!」
聡真が銛を鰐の目に投げた。
銛は見事に突き刺った。
鰐が首を振った。
「ああっ!」
船が噛み砕かれ、二人は海へ投げ込まれた。

続く…
-この物語はフィクションであり、史実とは異なります。
実在の人物・団体とは一切関係ありません-