村に残された傷痕。
過去は取り戻せない。
失われたものは、戻っては来ない。
だが、人は今しか生きられないのだ。
創造した今が、過去になる。
その今が、充実したものならば、
過去は、充ち足りたものとなるであろう。
命の種。
ここから、新しい今が始まっていく。
村人達は、その想いを共有していた。

別れの時が迫っていた。
「真魚、嵐、ありがとう…」
菜月は心から感謝していた。
桜、たき、睦月もいた。
菜月のそばに谺が立っている。
「菜月、あの願いを忘れるなよ!」
子犬の嵐が菜月を見上げた。
「うん!わかってる」
「何の事だ?」
その横で谺が怪訝な顔をしていた。
「神様のたわごと…だよね」
「たわごとではない、理だ…」
菜月が笑い、嵐が答えた。
谺は何だか照れくさそうであった。
どうやら、自らの気持ちに気付いたのかも知れない。
それは、菜月も同じであった。
「木樵の頭にも、世話になったと言っておいてくれ…」
真魚が谺に言った。
「そのことだけど…桜に言われたんだ…」
「今回のことは、俺たちにも責任がある…」
「木を切るのは、命を奪うことだって…」
「今度は、失った木を育てて行こうと思っている」
倭の、言われるままに木を切ってきた。
山は生きている。
その命を奪ったままで、良い訳が無い。
谺はそう感じた。
「それが、覚の心だ…」
真魚がその事を伝えた。
その心は、村人の中でも生き続ける。
「また、来てね、約束よ…」
菜月が嵐に言った。
「その心に繋げ、いつでも飛んで来てやる…」
「あれがあれば、大丈夫だ…」
菜月は、その胸に手を当てた。
嵐の心が、確かに存在していた。
「ありがとう…」
菜月の瞳に涙が溢れた。
「疑っているのか?」
「そんなわけないでしょ!淋しいだけよ!」
菜月が頬を赤らめた。
「素直な所だけが、取り柄だな…」
「馬鹿…」
菜月が下を向いた。
「谺が妬かぬうちに、行くとするか…」
嵐がそう言って皆に背を向けた。
「何のことだ…」
谺が頬を赤らめた。
「神様って…自惚れ屋さんね…」
菜月が笑ってそう言った。
あれから数年が過ぎた。
あの後、覚の声は聞こえなくなった。
川に落ちた大きな岩。
その岩が、村を救った事は間違いなかった。
村の者はその奇蹟を、覚が起こしたものと信じていた。
いつしか、その岩は『覚岩』と呼ばれるようになった。
その真実を知る者は誰一人としていなかった。
だが、菜月はあの時の波動を感じていた。
大地を揺らすほどの波動。
菜月はその岩を見る度に、真魚と嵐に感謝した。
たきがいなくなった今も、それは忘れない。
胸に抱いた小さな命、その耀き。
その笑顔に、尊さを感じていた。
「ありがとう…真魚…嵐…」
それは、菜月にとって、かけがえのない贈り物であった。
「命は輝かねばならぬ…」
真魚のその言葉は忘れない。
菜月はその耀きを、抱きしめて想った。

空の宇珠 海の渦 外伝 精霊の叫び -完-