空の宇珠 海の渦 第三話 その五 | 空の宇珠 海の渦 

空の宇珠 海の渦 

-そらのうず うみのうず-
空海の小説と宇宙のお話



 嵐は動けずにいた。
 
 陽が高くなっても瀧の側は涼しかった。
 
 毛皮を着ている嵐には絶好の避暑地と言えた。
 
 あれからすでに一週間が過ぎていた。
 
 
 「腹減ったなぁ~」
 
 嵐は真魚に会いたいと願う気持ちとは裏腹に、どうして良いのかわからなかった。
 
 ただ、前鬼がここしかないと言うからには、この場を動く理由がなかった。

 それに棒を置いたままである。
 
 
 『必ず真魚はここに戻ってくる…』
 

  確信はあったが、何もせず真魚の帰りを待つ日々が続いた。
 
 前鬼と後鬼は他にも用事があるらしく、出かけたきり帰っては来なかった。
 
 
 「真魚の奴は何をしているのだ」
 
 「まさかあの高飛車な丹生津姫と懇ろになるとは思えんしな・・・」
 
 
 そう思ってはみたが嵐に一抹の不安がよぎった。
 
 

 「ひょっとして真魚の奴、丹生津姫まで抱き込もうとしておるのではなかろうか」
 
 前鬼と後鬼を使いに出した事実。
 
 
 「何かを企んでおることは間違いない」
 
 「あの丹生津姫が落ちるはずがないしな・・・」
 
 
 その考えをもみ消すと再び眠りに就こうとした時・・・。 

 
 嵐の目の前に信じられない光景が現れた。
 
 
 「あぁ・・・」
 
 嵐は言葉が出なかった。
 


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「傷も良くなったしそろそろ出かけんとな」
 
 真魚は丹生津姫に言った。
 

 「お前に聞いておきたいことがある」
 
 姫は真魚に向き合った。
 

 「なぜこの地に来たかと言うことだ」
 
 姫は真魚に尋ねた。
 
 「お前のような者が、用もなしに動くとは思えん」
 
 
 「そうだな」
 
 真魚は訳を話し始めた。
 
 「あるものを捜している」
 
 真魚はあるものとだけ言った。
 

 「そう言うことか・・・」
 
 姫はわかっていた。
 
 「丹砂だな」
 

 「一つはそうだ」
 
 真魚は答える。
 

 「一つ?」
 
 「まだあるのか?」
 
 姫は不意を突かれた様に言った。
 

 「場所だ」
 
 真魚はさらりという。
 

 「場所?」
 
 「お前は何をする気だ」
 
 姫は真魚の考えを図りかねていた。
 

 「俺の居場所を作るだけだ」
 
 真魚はそう答える。
 

 「居場所?そうか!なるほどな・・・」
 
 姫にもだんだんと見えてきたらしい。
 

 「お前という奴は、何を考えてるのだか・・・」
 
 丹生津姫はしばらく真魚を見つめていた。
 

 「これを持って行きなさい」
 
 丹生津姫は胸にかけられていた宝玉を真魚に渡した。
 

 「これは・・・」
 
 「あの棒には必要なものです」
 
 丹生津姫は真魚の疑問に答えた。
 
 
「やはり、このときは訪れるのですね」 
 
 丹生津姫は真魚の胸にもたれ、残念そうに言った。
 

 「世話になった」
 
 真魚は姫を抱きしめた。
 

 「このまま時が止まればいい・・・」
 
 姫は心の底からそう願った。
 

 だが、同時に真魚の心も感じていた。
 
 
 「お前は行かねばならぬな」
 
 真魚が成さねばならぬ事、それはわかっていた。
 
 だが、離れたくはないという気持ちがそれを許さなかった。
 
 二つの気持ちの間で心が揺れた。
 

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「人はこの様にして心で力を生むのだな」
 
 真魚の腕の中で丹生津姫はつぶやいた。
 

 「そうだ」
 
 姫を抱きしめたまま真魚が答えた。
 

 「神である私はそのようなものは必要ない」
 
 「だが、今は違う」
 
 姫はその瞳に涙をためた。
 

 「真魚の前では…」
 

 姫は顔を上げ真魚を見た。
 
 その瞳から涙が溢れた。
 
 真魚はその涙を指ですくった。
 

 「温かい」
 
 
 姫は必死に堪えていた。
 
 笑顔を必死に作ろうとした。
 
 そうしようと思えば思うほど涙が溢れた。
 

 「哀しいのなら泣けばいい」
 
 真魚は姫にそう言った。
 
 
 姫は首を横に振った。
 

  「笑いたい・・・」
 

  「でも・・・」
 
 
 姫は真魚の胸に顔を埋めた。
 
 
 「出来ないのだ・・・」
 
 
 真魚は姫を抱きしめた。
 
 
 どれだけの時間が過ぎたであろう。
 
 穏やかな心が姫を包みこんだ。
 
 丹生津姫は真魚の胸から顔を離し真魚に言った。
 
 
 「そろそろ行かねばな」
 
 
 「ああ」
 
 
 真魚はそれだけ答えた。
 
 真魚の言葉と同時に二人の躰が輝き始めた。 

 だんだんと光の粒が増えていく。
 
 一際輝いたかと思うと二人の躰は消えていた。







 嵐は目をぱちくりさせていた。
 
 あまりの出来事に顎が外れた様に開いた口が塞がらなかった。
 
 真魚がいた。
 
 瀧の前に。
 
 いつの間に現れたのか、それすらもわからなかった。
 
 側に丹生津姫が立っていた。
 
 二人は向き合ってお互いの手を握り合っていた。
 
 そうしていたかと思うと急に抱き合った。
 
 
 「離れとうはない・・・」
 
 丹生津姫が真魚に言った。
 
 
 「いつでも会えるではないか」
 
 真魚は姫の髪を撫でて言った。
 
 神である。
 
 会おうと思えばいつでも会える。
 
 
 「磁場、霊力(エネルギー)、触媒、なかなか条件は厳しいぞ」

  姫は言った。
 
 
 「実体でなくても良い」
 
 「俺を見ていてくれ」
 
 真魚は姫の頬を撫でた。
 

 「それだけでいい」
 
 真魚は姫と唇を合わせた。
 
 しばらく二人は動かなかった。
 
 何か心で言葉を交わしている様であった。
 
 
 「私は許さない」
 
 「私を奪ったのだぞ」
 
 姫は言った。
 
 
 「どうすれば許してもらえる?」
 
 真魚は微笑んで聞いた。
 
 
 「そうだな・・・」
 
 丹生津姫は目を伏せた。
 
 こみ上げる思いに絶えきれず、真魚の胸に頬を付けた。
 
 
 「お前がここにいる…」
 
 丹生津姫はそうつぶやいた。
 
 
 「当たり前だ」
 
 真魚が言った。
 
 
 「それだけで良い・・・それだけで・・・」
 
 
 その言葉に真魚は揺れた。
 
 真魚の心に愛しさと切なさが交錯する。
 
 真魚は丹生津姫を抱きしめた。
 
 真魚の腕の中で姫は顔を上げた。
 
 
 「契りだ」
 
 姫はそう言うと真魚に唇を重ねた。


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 姫の目から涙がこぼれた。
 

  「真魚・・・」
 
 姫が真魚の心に話しかけてきた。
 
 姫の涙は止まらなかった。
 
 真魚は姫を抱きしめた。
 
 「私はお前が・・・」
 
 そう言って丹生津姫は真魚の唇に歯を立てた。
 

  一度目は優しく・・・。
 
 
  姫は真魚を見つめた。
 
 
 その瞳からは涙が溢れている。
 

  
  「真魚・・・お前が」
 
 

  「愛おしい・・・」
 

 二度目は本当に咬んだ。
 
  
 真魚の唇から血が流れた。
 
  
 その血の穢れが姫の躰を消し去っていく。
 
 
 姫は目に涙を浮かべながら微笑んでいた。

     
 それは真魚にとってはかけがえのない微笑みであった。
 

 ゆっくりと消えていく躰を真魚は精一杯抱きしめた。
 
 
 やがて姫の躰は消滅した。
 
 
 躰に残る温もりが姫の全てであった。
 

 真魚はその温もりを抱きしめていた。
 
 
 
 
 嵐はしばらく真魚に声をかけることはしなかった。
 
 
 「真魚の奴、とうとう丹生津姫まで巻き込みおったか・・・」
 
 初めはそう思っていた。
 
 姫が去った後も真魚は動かなかった。 

 その姿を見て嵐は気がついた。
 
 
 「真魚・・・」
 
 嵐はどうするべきかと悩んだ。
 
 
 「声をかけるべきか・・・」
 
 だが、その前に真魚が嵐の存在に気がついた。
 
 嵐は複雑な気持ちであった。
 
 
 「ぼ、棒を忘れておるぞ」
 
 嵐の口から最初に出た言葉はそれであった。
 
 もっと伝えたいこともあった。
 
 会いたかった。
 
 寂しかった。
 
 しかし・・・。
 
 思わず出た言葉に嵐はあきれた。
 
 
 「久しぶりに会ったのにそれか?」
 
 逆に真魚に突っ込まれた。
 
 
 「お主があの姫に連れて行かれるところを見たのだ」
 
 嵐は必死に言い訳をしたが、言い訳になっていなかった。
 
 
 「この通り大丈夫だ」
 
 真魚のその言葉に嵐は駆けだした。
 
 主人に駆け寄る子犬そのものだ。
 
 
 「心配はしてないぞ!」
 
 嵐は憎まれ口をわざと言った。
 

 「おみやげをもらってきた」
 
 真魚が嵐の頭を撫でた。
 

 「お、おみやげ!な、何だ食い物か!」
 
 嵐のその言葉が言い終わらないうちに真魚は瓢箪の蓋を取った。
 

 「うひょ~!」
 
 瓢箪の口から今まで見たことのないようなごちそうが出てきた。
 

 「こ、これを全部食べてもいいのか?」
 
 嵐がうれしそうに聞いた。
 
 
 「まて~!」
 
 聞き覚えのある二つの声がそれを制した。
 
 
 「分け合うことが幸せの始まりじゃぞ!」
 
 後鬼が嵐をたしなめた。
 
 
 「そんなのは知らん!一人で食べるから幸せなのだ」
 
 嵐はそう言って食べようとした。
 
 
 「食い物の恨みは恐ろしいぞ!」
 
 前鬼がそう言って割り込んだ。
 
 
 真魚は笑っていた。
 
 
 「お主らそんなことより仕事は終わったのか?」

  嵐が聞く。
 
 
 「終わったからここにいるのだ!」
 
 後鬼はそう言って一つ何かを食べた。
 
 
 「わ~」

 嵐が叫んだ。
 
 
 「それは俺が食べようと思っていたやつだ!」
 

 「速い者勝ち~!」
 
 後鬼が嵐の言葉を制した。
 
 
 「くそ~こうなったら食べてやる!!」
 
 「全部食ったる~~~~~~~~~~~~!!!!!」
 
 嵐の叫びが辺りにこだました。


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 森の中に闇があった。
 
 その中から幾つかの目が除いていた。
 
 「丹生津姫め!」
 
 「余計なことをしやがって・・・」
 
 「あれは俺の手柄であったものを・・・」
 
 「生きておったか佐伯真魚・・・」
 
 「しぶとい奴め・・・」
 
 「だが、あいつは面白い・・・」
 
 「ああ、面白い・・・」
 
 闇はしばらく存在したが、いつの間にか消え去っていた。

 

 第三話 -完-