真魚は宇宙にいた。
闇の中に立っていた。
光の宇渦が無数にあった。
光と闇。
密と疎。
それらは互いに影響しながら世界を作り出していく。
宇宙の理がそこにあった。
ふと気がつくと無限の彼方にひときわ輝く光の玉があった。
誘われるままに飛んだ。
「こんなにも速く飛べるものか?」
その速さに驚いた。
だが光の玉は近づくこともない。
遠ざかることもない。
どんなに速く飛んでも変わらなかった。
その時…。
「真魚・・・」
声がした。
「お前はまだ行ってはいけない」
その声の主に覚えがあった。
「お前にはまだやるべきことがある」
そうだ・・・。
行ってはいけない。
真魚は思った。
「戻ってこい・・」
真魚はその声に振り向いた。
「私の側に来い・・・」
呼んでいる・・・。
「私はまだお前を失いたくはない」
俺も同じだ。
「私は丹生津姫…」
姫・・・。
「私はお前が・・・」
真魚の目にその姿がはっきり見えた。
「愛おしい」
姫の瞳から涙が溢れた。
姫は涙の意味を受け入れた。
真魚の躰がまばゆいほどの光に包まれた。
この感じ・・・。
温かい・・・。
柔らかい・・・。
感じる・・・。
生命
「姫」
その瞬間、真魚は飛んだ。
光の玉となって次元を飛び越えた。
真っ白い時間が過ぎた。
それは永遠という時間の始まりだったかも知れない。
真魚はゆっくり目を開けた・・・。
「真魚…」
真魚の目の前に美しい丹生津姫の顔があった。
悲しげに真魚を見つめていた。
真魚の上半身を抱きかかえるようにして、姫は真魚を見つめていた。
姫の手が真魚の存在を確かめるように、その頬をなでた。
「私はお前が憎らしい」
「神と拝め奉られてから何千年も過ごしてきた」
「我が結界に侵入し、我を見、禁を破り、我に触れ、我を穢した」
「たかだか人であるお前に・・・心が乱れた・・・」
その瞳には溢れそうな涙と感情が、いっぱい詰まっていた。
「そなたは美しい」
真魚のその言葉で・・・
溢れて・・・
落ちた。
なぜだかわからない。
神である。
だが・・・。
こらえきれない感情を真魚にぶつけた。
人である真魚の前に・・・。
その胸に顔を埋めるようにして泣いた。
あらぬ限りの声で泣いた。
真魚は姫を抱きしめた。
「お前は愚かじゃ!」
「愚か者じゃ!」
全ての感情を洗い流すかのように姫は泣いた。
真魚は全てを受け入れた。
時が止まっていた。
二人が抱き合ったまま・・・。
時が止まっていた。
ただ・・・。
想いだけが溢れ続けていた。

嵐は途方に暮れていた。
残る血の臭い。
真魚のものだ。
しかも、かなりの出血であることは間違いなかった。
「真魚を連れて行った女の神は誰じゃ?」
嵐は考えていた。
金峯山を下りた。
「情報は有効に利用しないとな」
真魚達一行はそのまま南へ下った。
十日ほど時間をかけながら歩いた。
前鬼と後鬼は時々何処かに出かけて行った。
真魚は何かを探しながら歩いている様であった。
葛城の山々を越え、川伝いに歩いた。
川幅が広くなり始めた頃、川を渡った。
今度は大きな川の支流を伝って山の方に向かった。
少しずつではあるが道が険しくなり始めた頃であった。
そこで、事件は起こった。
「あの神は一体誰じゃ?」
嵐は独り言をつぶやいた。
「遅いと思ったら休憩かいな!」
その声は木の上から聞こえた。

「前鬼!後鬼!お主ら何をしとったんや!」
嵐は情けない声で言った。
「おや!真魚殿がいないようじゃが?」
前鬼が嵐に聞いた。
「真魚は女の神に連れて行かれてしもうた。」
嵐は言った。
「何と!女の神とな!」
後鬼は驚いた様子で言った。
「それは恐らく丹生津姫であろう」
前鬼は心当たりがあるらしい。
「かなりの美人であったであろう?うちと同じくらいか?」
後鬼が言った。
「お主など足下どころか虫けら以下じゃ!」
嵐もその美しさを認めていた。
「間違いない」
前鬼は確信した。
「だが、その丹生津姫がどうして真魚殿を連れて行くのじゃ?」
後鬼が不思議そうに言った。
「わからん。だが、真魚の血の臭いが立ちこめて居った。」
「お主らにもわかるであろう」
嵐は前鬼と後鬼に遠回しに、何かあったと言う事実を伝えた。
「本当や!」
後鬼は辺りの臭いをかいで言った。
「それにあちらの奴らの気も混じっている」
前鬼はおおかたの事情は飲み込めた様だ。

「奴らめ!」
嵐は無念であった。
「初めは何もなかったのじゃ」
「だが、突然神の結界が乱れたのじゃ」
嵐はその時の状況を語り始めた。
「お主はどうして居った?」
後鬼が尋ねる。
「神の結界に他の神が入ると危険だと真魚に言われて・・・」
「休んで居ったか」
前鬼がその時の状況を描く。
「そうであれば真魚殿は丹生津姫に助けられた可能性が高い」
前鬼が言った。
「そうか!だから姫は『この者は連れて行く』と言ったのか!」
嵐はようやく事の真相が掴めてきたようであった。
「そう言ったのか?姫は」
後鬼が問い直す。
「言った」
嵐は確信した。
真魚は生きている。
「大丈夫であるとは思うが、傷は思ったより深いかもしれんな」
前鬼が言った。
「なぜじゃ!」
嵐は納得いかない。
「何もなければわざわざ神である姫が、人である真魚を連れてはいくまい」
前鬼は不安そうな嵐に向かっていった。
「真魚どうして居るのじゃ・・・」
嵐は後悔していた。
真魚は眠り続けている。
元々時間など存在しない空間である。
どれだけ眠っているのかもわからない。
だが、その間真魚をずっと見ていた。
そして、ずっと考えていた。
人である真魚のこと。
神である自分のこと。
人である真魚が抱える悲しみ、苦悩。
それは真魚だけのものではない。
自分以外の者に対してこれほどの想いを抱く。
佐伯真魚。
果てしない器を持つものが生み出す力。
「神を超えるかも知れない」
「いずれこの男は神をも超える」
そう感じた。

そして、もう一つ…。
自分の中に芽生えた感情に戸惑っていた。
儚く、今にも壊れそうな器を抱え、それでいてひたすら真っ直ぐに進もうとする。
それ故に自らも傷を負う。
だが、それすらも潔しとする。
「このような男がいたのか・・・」
眠っている真魚の顔を見つめる。
こみ上げてくる感情。
「私にもこのような感情が存在したのか」
「このような感情が、神である私にも生まれるのか」
この男の波動に巻き込まれていく。
この男の生命に同調していく。
それが心地よい。
命という器の中に、秘められた意志。
その意志はやがて人々を巻き込んで行くであろう。
「お前といるのも悪くはない」
神としてあり得ない言葉を言った。
「お前と・・・」
その時・・・。
「真魚!」
真魚の瞼が動いた。
真魚が目を開けた。
- 真魚が存在する。 -
その事実に打ち震えた。
溢れる感情に押しつぶされそうになりながら、懸命にそれを堪えた。
「ずっといてくれたのだな…」
真魚が微笑んで言った。
真魚の声が丹生津姫を包んだ。
涙が落ちた。
それが心地良かった。
真魚をいっぱい抱きしめた。
溢れ出る感情にあらがう必要はもうなかった。
『神である私が・・・』
『お前という存在に・・・』
『抱かれている』
その事実がうれしかった。
続く…