大自然が豊かで、温暖で、海の幸、山の幸に恵まれている、私の田舎
そんな中で人生を過ごして来た私の父親の事を書いてみようと思う。
この私のブログでは自分の親姉妹の事はほとんど触れて来なかったけれど、
先日母が亡くなって、
振り返る意味でも、
書き留めておきたいと思ったのです。
父親は、昭和一桁生まれの思い込みと妄想が著しいガンコ親父。
食べ盛りの頃に終戦を迎え、お腹を空かせて、自力で食料を獲ていたそうです。
幸い、海がすぐ近く、山もすぐそこ、
海に行けば魚介類が、知恵を働かせれば豊富に獲れ、
山に行けば山菜も採れ、
と言う自然環境に恵まれていたので、
勉強そっちのけで、
空腹を満たすために海や山と戯れていたようです。
そんな中で経験的に得た知恵を働かせて、
大人になってから始めた自給自足の暮らしは自然な結果でした。
土地を購入し、
まず、井戸を掘ったと言います。
深さ、8m
母と2人で水が湧き出る深さまで掘り進んだそう。
大きな石が出て来て、それを縄で縛って、
母が引き上げる。
そうやって井戸が完成。
しかし、この井戸は浅井戸だったため、
夏場はしょっちゅう水が枯れていました。
家を建て、
家の周囲は畑。
野菜や果物、なんでも作ってました。
家族が消費出来ないほどたくさんの野菜や果物が次々と収穫出来て、
親戚やご近所さんに配るほどに。
自分が食べたかった果物が、野菜が、常にお腹いっぱいに食べられる最高の楽園
この土地で遊び暮らしてほぼ60年。
まさか自分が、自分から施設に入る、と言うとは夢にも思っていなかった事でしょう。
父は、この自分の建てた家で最後を迎えたかった事でしょう。
先日、一時帰宅していた際、
駄々を捏ねて、もう帰らん、ここで死ぬ、と言っていた。
子供みたいに。
父はなんでも出来る器用な人でした。
困ったことがあれば父に言えばなんでも解決してくれる、
本当になんでも出来るすごい人、と思っていました。
ハンディーマン、です、要するに。
地元の役員や面倒くさい諸々の事を長年引き受けてやっていた、
すごいな〜
と思っていたけれど、
まあ、それはそれですごい事だったのでしょうけれど・・・・・
ご近所さん達からの話、悪口を聞かされると、
やっぱりそうだったのか〜
と、
現実と理想は大きく異なり、
そのギャップに失望してしまってます。
まさか‼️
そんな事やっていたの?
そんなこと言っていたの?
えぇぇぇぇぇぇぇ〜〜〜〜〜
の連続で、
父の人生の尻拭いをこれからどうやってやって行くのか、頭の痛い所です。
結局、父は、自分の自我を支えるものが何も無い虚しい人だった。
本当に恥ずかしい生き方をして来て、
周りに最大限の迷惑を掛けまくり、
気付くことさえなかった。
本当に残念な人でした。
子供の頃に見ていた父親の姿は、
とても人として尊敬出来るようなものではなく、
これが自分の父親か‼️
と呆れるような態度だった。
母も然り。
だから、私はあの家から一刻も早く逃れたかった。
そして、1mm でも遠くに行きたかった。
魂の成長なんて考えたこともない人だろうな〜
と言う事は容易に想像出来る。
ただただ我欲を満たすためだけに生きて来た人。
それが、私の父親であった、と言う事を、
家の片付けをしながら思い知らされました。
悲しいけれどこれが現実。
でも、この両親を選んで生まれて来たのは、私の選択。
その意味にまだ気付けていないのかもしれない。
そして、あんなに嫌っていたあの地元に
定年退職後は戻る予定にしていて
少しずつ準備を進めているとは、
自分でも驚いている。
何かあるんだろうな〜
その何かを求めて、
父が遺した土地、家を、
父のその時々の想いを感じながら
関わって行くことになるんだろうな〜
けれどもまだ、覚悟が決まっていない。
理想の父親像と対極に位置する現実の父親の姿を見て行く事は辛すぎるものがある。
出るのはため息ばかり😮💨


