★ 「神」の名を冠する凄い手相とは?

こんにちは、今日は夜10時に帰宅した福岡・博多の手相鑑定師、ソムタムです。

午前中はテニスを3時間弱プレーして、午後はタイマッサージを受けて、夕方はペイペイドームにホークスの野球観戦に行っておりました。

ホークスの観戦試合は勝利確率が8割ですが、今夜の試合は完封負けで3位に転落しました・・。

ダメだなあ、ホークス!打てないもんなあ。


さて、今日ご紹介する手相は、「神」という文字が刻まれた「神秘十字線」という手相です。

感情線と知能線の間にでる十字の線を「神秘十字線」と呼びます。



この線を持つ人は、ご先祖様や守護霊様から強く守られた方で、以下の3つの恩恵を受けると云われています。

1)棚ぼた運が期待できる(宝くじに当選したり、出会いに恵まれたり)

2)神仏からのご加護、お導きがある

3)危険な目に遭っても、助かる可能性が高い


これまでにこの「神秘十字線」を持つ数多くの方の経験談もお聞きしています。

特に交通事故に遭われた方の多くが、事故の瞬間にスローモーションになったそうです。

車は大破しているにも関わらず、自分は無傷だったという方も多かったです。

お客様で日航機墜落事故を免れた方もいます。

随分前にお越しになったお客様で阪神大震災を経験された方がいます。

その方はいつもは滅多に朝方にトイレに起きない方ですが、地震当日の朝5時半頃に起きてトイレに行ったそうです。

そして用を足して2階の寝室へ上がろうとしたその時、地震が起こり、電気をつけたまま玄関から外へ出たそうです。

そして揺れが収まり、2階へ上がったら、自分が寝ていたベッドの上にタンスが倒れていたそうです・・・・。


皆さん、全て「神秘十字線」をお持ちでした。

私自身もこれまでに15回ほど危険な目に遭っていますが、まだしぶとく生きています。

皆さんから、「ソムタムさん、良く生きてますね!」と云われますが・・・・。

それでは、私の過去の怖~い体験をお伝えしましょう。

(4歳の頃の事故)
私は4歳頃に、隣家が飼っていた犬に餌をやりに行っている途中に転んで、お皿が割れて、破片が右腕と眉間にささり、20針も縫う大怪我をしています。

あとほんの少し医者が手術するのが遅れていたら、出血多量で死んでいたといわれています。
(この時は、母親が30分走って近くの医院まで運び、さらに簡単な止血だけして大きな病院にタクシーで搬送されたそうです。母に感謝ですね)

私はほとんど覚えていないのです。


(中学生の頃の海泳ぎ)
中学生の頃、仲間ら数名と夏は九十九島の海で泳いでいました。

もちろん、その場所は遊泳禁止(というか誰もそこで泳ごうとは思わない)で、九十九島遊覧船が通る海域です。

その海で、ライフジャケットもつけずに海パンのみで島から島へ泳いでいました。

当然ながら、距離は数百メートルはあり、その間を遊覧船や釣り人を乗せたボートが行き交います。何度、警笛を鳴らされて危険な目に遭ったかわかりません。

小さなボートが通るだけで、波は5mほども上がるのです。溺れることもなく、今も生きてます。何度か遠泳中に足がつったことはありますが。この海で10回は泳いだと思います。

(18歳の頃の事故)
18歳の頃、学生時代に新聞奨学生だった私はバイクで朝刊配達時に、見えない角からバックで道路に出てきた軽トラックと衝突し、数メートル飛ばされ、気がついた時には頭の数センチ先が電柱でした。

この時は軽い打撲で済んだのも奇跡的です。

ヘルメットもかぶっていなかったので、もし、頭を打っていたら即死でした。でも、当日も残りの朝刊を配達し、学校へも行きましたよ~。


(21歳の頃の事件遭遇)
21歳の頃にボランティアでフィリピンに行っていた私は、反体制派ゲリラの潜む場所で野外調査の最中に、軍隊から拳銃を突きつけられてホールドアップの経験もしています。

1時間ほど拘束された後に解放されましたけど。

軍隊の隊長からは「決して山の中には入るな。ここ数日間に射殺したゲリラの死体があるから」と云われました。


(26歳の頃の事故)
26歳の頃、セネガル(西アフリカ)で青年海外協力隊員として活動中、私が乗っていた乗り合いタクシーが人身事故を起こし、はねられた男性がフロントガラスを突き破り、運転手の後ろに座っていた私の真横に即死の状態で入ってきました。

この時も、もし運転手の横に座っていたら、私も大怪我か即死の状態だったでしょう。幸いにも私は無傷でした。

その翌日は気温30度の中、フルマラソンを4時間で完走しました!


(27歳の頃の海難事故)
27歳からパプアニューギニアで商社マンとして勤務していましたが、ある時、10人乗りのボートで居住地から3時間ほどの現場に出張していました。

現場出張を終え、自宅のある町へボートで戻る途中、大嵐となり、高波を何度も受け、ボートは沈没寸前でしたが、ニューギニア人の船長のおかげで何とか町にたどり着きました。

大嵐の中、3時間もボートの細い柱にしがみついていましたが、10名ほどの仲間らは誰も落下することなく、全員助かりました。99%は海に沈んでしまうと思いましたが、神に助けられました。


(28歳の頃の大事故)
そして28歳の頃、パプアニューギニアで商社マンとして勤務中、会社が盗賊に襲われました。

私は従業員を先に逃がし、最後に逃げた私が襲われました。

その際に、盗賊から頭部を殴られ、未だに後遺症(右目がゆがんで見える)に悩まされています。

その後、ヘリでラバウルの病院に搬送され、緊急手術を受け、1週間後に日本へ移送後、九州大学病院に即入院しました。

この時、ラバウルには優秀なインド人医師(眼科医)がたまたま訪問医療で訪れており、緊急手術をしてくれて助かりました。

頭を殴られているので、打ち所が悪ければ即死でしたが、生きています。

今生きているのが不思議な位です。この病院はJICA(日本)の支援で建設された総合病院でした。


(29歳の頃のスキー事故)
29歳の頃、フランスに留学中だった私は仲間とスキーにいっておりました。

その時のスキー場のコンディションはアイスバーン状態で危険な状況でした。

私は案の定、スキー中に転んだのですが、その際にビンディングが外れず、左足をひねってしまいました。

診断の結果、靱帯損傷で1か月間、ギプスをはめて大学に通いました。

もし、靱帯断裂であれば、3ヵ月~半年間ほどギプス生活だったと思います。


(35歳の頃の事故回避)
35歳の頃、ネパールでJICA専門家として勤務中に、バンコクからカトマンズに向かう飛行機が着陸を誤り、危機一髪で再度機首を上げて再度着陸し、事なきを得ました。

この時、航空管制の専門家としてネパール駐在中の方に確認したところ、機種を上げなかった場合は墜落していたそうです。

私は窓際の席に座っており、「あ、もうすぐ着陸だな」と思った瞬間に機首を上に上げて再上昇したので、「え?何?」と思ったのですが、一歩間違えば、墜落事故でした。

パイロットが滑走路と道路を間違えて着陸しようとしていたということも後日聞きました・・・唖然!


(37歳の頃 グアテマラでの出来事)
グアテマラに短期専門家として3カ月間赴任した経験があります。

中米の国は怖いですよ~。交差点で車を停めると、鉄パイプを持ったグループが寄ってきて、金を払わないと窓ガラスをたたき割ります。

また、道路沿いには墓標が途切れないのです。この墓標は住民が殺された場合に墓標を立てる習慣があるそうですが、殺人がいかに多いかを物語っています。病死の際は立てないそうですから。

また、毎日のように銀行強盗や殺人事件が起こっていました。

うちのプロジェクト専門家も強盗団に襲われてケガをしたこともありました。

私は無事でしたが、もうこの国には行きたくはありません。


(39歳の頃のテロ事件回避1)
39歳の頃、インドネシア・バリ島でJICA専門家として勤務中、200名を超える死者を出したバリ島ディスコ爆破事件当日、爆発の30分前に現場の前を車で通りかかっています。

この時はすでに爆発物を仕掛けた犯人とも遭遇していたかもしれません。

帰宅後に爆発音が聞こえました。

死者200名のうち新婚旅行中の日本人2名が爆破時にそばを歩いていて犠牲になられたのです。

私は本当に守られています。30分差で助かりました。


(40歳の頃のテロ事件回避2)
40歳の頃、インドネシア駐在中、空港の南の海岸沿いに広がる海産物のバーベキューの屋台が並んだ地区があります。

そこでもテロ事件が発生しましたが、何と私が家族と食事したレストランが、翌日爆破されました・・・・。1日遅かったら・・・・。


(40歳の頃の交通事故回避)
40歳の頃、家族とタイから日本へ一時帰国しました。朝8時に到着する深夜便のため、ほとんど熟睡できないまま福岡空港へ到着しました。

そして、空港前のレンタカー屋で車を借り、高速道路を運転中にふいに眠りに落ちてしまいました。

もちろん、家族も皆車内で爆睡中でした。そして、目を覚ますと中央分離帯のブロックが目に入り、ハンドルを急転させて、危機一髪で事故を回避できました。

高速道路上でしたので、時速100キロ近い速度でした。

この事故未遂以降、深夜便で到着した際は、レンタカーを運転しないようにしています。


(42歳の頃のマラリア罹患)
そして、42歳の頃、西アフリカ出張から帰国した直後、マラリアに罹患しました。

ひとりでガーナとギニアに2週間の出張に行って帰国直後のことでした。

その時は幸いに東京にいて、国立医療感染症センターに緊急入院して、5日間で治療退院することができました。

当時は、検査中にすでに立てなくなり、車いすで病室へ運ばれました。

風邪ひとつひいたことがない私ですが、この時は42度の高熱に3日間ほどうなされました。

医者からは「あと1時間遅かったら、危なかったよ!」とも云われました。

8年前に東京で流行したデング熱とは違い、マラリアは治療が少しでも遅れると確実に死にます。

もし、佐世保にいて発症していたら危なかったでしょう。地方の医者はマラリアと診断できませんので。東京にいたので助かりました。

でも体力が元に戻るまでに3週間もかかりましたよ。マラリアは怖いですよ!

第二次世界大戦中、日本兵の多くが東南アジアでマラリアに罹患して亡くなっています。


(43歳の頃のインドネシア大津波回避)
2004年のスマトラ大地震の際、丁度休暇時期だったので、家族とプーケット旅行を計画しました。

私が西アフリカのニジェールにJICA専門家として赴任した最初の年でした。

しかし、旅行1か月前に、タイ在住の嫁さんから「スイスに兄家族がいるので、スイスで合流したい」ということで急遽旅行先をタイのプーケット島からスイスに変更したことで、スマトラ大地震の被害に遭わずに済みました。

もし、プーケット島へ行っていたら、津波に飲み込まれていた可能性が高いです。(当初はプーケットが津波に襲われた前日にプーケットに入っていた日程でしたから)


(43歳の頃のスキー場でのスリップ事故)
プーケットの代わりにスイスへ旅行することになり、危険を回避できたのですが、スキー場でも危険な目に遭いました。

嫁さんのお兄さんの車でスキー場へ行き、その帰りの出来事です。雪道の下り坂を降りている際に車がスリップして5mほどハンドルが効かなくなり、車内は悲鳴がとどろきました。

というのも崖に向かって車が進んでいたからです。でも崖の手前で車はストップして難を逃れました。そこにはガードレールもなかったので、もしそのまま進んでいたら、崖へまっさかさま~でした。


(43歳~51歳)
この間の8年半は西アフリカのニジェール共和国でJICA専門家として勤務していました。

しかし、年々、周辺国ではテロが相次ぎ、ニジェール駐在中も治安が悪化し、青年海外協力隊員は日本へ引き上げ、10名ほどの専門家が駐在するほどに縮小しました。

そして、最後の2年間は夜間外出禁止令もだされ、窮屈な生活を強いられました。

外国人の中には誘拐されたり、殺害された方もいる中で、私は無事帰国することができました。

私がニジェール駐在中に何と2回、軍事クーデターがニジェールで発生しました。

幸いに私は発生した時は2回ともに日本に一時帰国中(休暇)で、クーデターに遭遇しなく助かりました。


(56歳の頃の登山中に遭難)
6年前、大分県の久住山に登り、下山後に駐車場に向かっておりました。

しかし、下山道は登山道と違う道を下りたもので、駐車場がみつかりません。

車道を1時間半ほど歩いた頃に1台の地元の方の車が通りかかり、声をかけてくれました。

「あんた、道を間違えちょるやろ!」

私は「どこどこの駐車場に車を停めたのですが、そこがわからないのです」と答えると、「あんた、車に乗りなさい。連れて行くから」ということでした。

なんと車には20分ほども乗り、駐車場まで連れて行って下さったのですが、そこは金網になっており、しかも草木が邪魔で駐車場が見えない状態でした。

つまり、登った道を下りてこないと、そこにたどり着けないような場所だったのです。

しかも地元の方が云うには、「2ヶ月前だったかのう、あんたと同じように道を間違えて駐車場にたどり着けなかった方が亡くなったんよ。あんたはラッキーだったねえ」ということでした。

私が歩いていた車道は8年前の熊本地震で通行止めになっており、地元の人しか走れないようになっていました。

今回はたまたま地元の方が走っていて、しかも声をかけていただいたので助かりました。(普通は声掛けしないですもんね)


(57歳の頃の遭難未遂)
これも山での遭難未遂です。

大分県の九重山系のひとつの涌蓋山(わいた山)に登った時のことです。

この山は標高1500mほど、山頂付近はガレ場ですが、体力に問題がなければ小学生でも登れる山です。

しかし、私は下山途中、何とクマザサが1mほど生い茂る場所で道に迷い、林の中に紛れ込みました。

1時間半ほど道を探しましたが、キツネに化かされたのか道がわかりません。

そこで意を決して、70度ほどの急坂を真下に下りる決断をして、道なき道をまっすぐ落ちるようにして下りました。

そして20分ほどでようやく車道にでて村に行きつきました。

そこで村人に駐車場を聞いたところ、「あんた、そこはここから3キロ以上はあるよ」と云われ、さらに車道を1時間歩いて駐車場にたどり着きました。

私はいつも単独行なので、今後も注意して登山します。


このように、簡単に挙げられる事例だけで15件以上にも上ります。

これらはどの事件についても、一歩間違えれば死んでいてもおかしくない事件、事故になりますが、私のように何度も九死に一生を得るような体験をされた方はそうは多くはないのではないでしょうか?

幸いにも、今後はそのような体験をしなくてもいいのかなと思っています(障害線や障害マークがでていないので)。

だから、「私は生かされている」という想いで、毎日を「前向きに」生きています。 

そして現在は月1回は墓前に参り、ご先祖様の供養もきちんとしています。

「神秘十字線」や「仏眼」をお持ちで、こんな危険な体験をしていない方は、ご先祖様や守護霊様に強く守られた方ですよ。

墓参したり、感謝の心を忘れないようにして下さいね!

私はこんなにもたくさん危険な目に遭っていることもあり、私は時々守護霊の人事異動を行っています。

そんな様子を悠ゆうさんが8コマ漫画に描いてくれています。

守護霊さんのイラストもなかなかの出来栄えですよ。

私の守護霊さんは良くさぼりますし、鼻くそまで飛ばしてますからね。



こちらの8コマ漫画にも守護霊さんが登場します。守護霊退場です!






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