kaori

ジャン・ジャンは突然私の膝の上に乗ってきた。
ぞろぞろと教室に入って来た子ども達の中でもその小ささでひときわ目立っていたジャン・ジャン。彼はまっすぐに私の前までやって来てニコッと笑った。私もつられて笑い返すと彼は私の手をとってうやうやしくブレス(年長者の手を取って自分のひたいにあてる仕草。敬意を表す)し、そのまま当然のように私の膝に上ってきた。

日本語・日本文化をこのNGOで教えることになって今日が第一回目のクラス。言葉のまったく通じない30人の子ども達を前に緊張気味だった私の心と体に4歳児の柔らかな重みが温かく広がる。本当は小学生以上が対象なのに、ジャン・ジャンはどうしても自分も参加すると言ってきかず、特別に参加を許したのよ、と後で担当の寮母さんが教えてくれた。

2008年1月、マニラの空港に降り立った私はむせ返るような暑さと、慣れ親しんだ南米とは種類の違う喧騒に圧倒されていた。
年末にバタバタと決まったフィリピン南カマリネス州・州立日本語学校での職。一般就職として海外で働くのも、東南アジアの国に長期滞在するのも初めて、英語は中学2年生レベル、これからどうなるんだろう、という心細さと、未知の国へのワクワクをいっぱいに詰め込んだ重いスーツケースを引きずって、一人グルグルと出迎えのスタッフを探した。

……それからもう半年。英語もタガログ語も相変わらず幼児レベルだが、頑丈な胃のおかげで何を食べてもおなかを壊すこともなく、なんとか元気にやっている。突然のスコールにもしょっちゅう起きる停電にも食料になりそうな大きさの巨大カエル&カタツムリにもバロット(孵化しかけのアヒルの卵のゆで玉子)にもだいぶ慣れた。

以前の国ではずっと子ども中心に教えてきたので、大人ばかりのクラスに最初はとまどったが「東洋のラティーノ」とも呼ばれるフィリピン人学生の明るさや積極性に助けられ、授業も軌道に乗ってきた。
生活に多少の余裕も出てきたので何か始めたいな、と思っていたところに偶然上記のジャン・ジャンが入所している児童養護施設(親の失踪、虐待等様々な理由で家庭で生活できない0~18歳の児童を保護・養育する児童福祉施設)との出会いがあった。

カトリック系NGOが運営するこの施設には現在男女合わせて53人の子ども達が入所している。センター長であるシスターの勧めもあって、今月から月2回ほどここでボランティアをすることになった。うまく行くかどうかはわからないが、簡単な日本語や日本の歌や遊び、折り紙などを教える異文化理解クラスをやってみようと思っている。

さて、いろいろなアンテナを張り巡らせ、生き生きと自分の道を歩いているママ&ワイフの皆さんがまぶしいSoL。特別枠というご厚意に感謝し、毎回少しずつここで出会う子ども達や日本語学校の学生達、そしてフィリピンの生活事情などをご紹介していきたい。

------------------------------------------------
◆ゲストライター:かおり



寒さが苦手でたいてい南の国に逃亡している軟弱な道産子。初海外はマダガスカル。
その後JICAボランティア関係でパラグアイ、コロンビアとベサメムーチョな南米暮らしが続き、現在は流れ流れてフィリピンの田舎で日本語を教える日々。最近ハマっているモノはハロハロ(フィリピン風具沢山カキ氷)とレチョン(子豚の丸焼き)。
「ワイフ」や「ママ」とはほど遠い人生裏街道をクラゲのように漂いつつも、まだ見ぬ夫と我が子のためにSoLで修行しておこう、と決意する。