3年と少し前のあの頃。
私は泣いていた。
結婚なんて、ちっともしたくなかった。
楽しい独身生活にピリオドを打つのがいやでたまらなかった。


一人暮らしをしていたこともあって、独身時代は何もかも自分の思うように暮らしていた。
仕事で疲れて帰った日の晩御飯はハーゲンダッツ。
日付が変わった深夜から飲みに出かけ、週末は朝夜逆転生活。

そもそも、神経質なところがある私にとって、他人と暮らすということは到底想像できなかった。
私の家に彼氏が泊まりにくるたび「あー早く帰ってくんないかなー」といつもイライラしていた。
「おはよう」から「おやすみ」まで、私の暮らしを見つめるのはライオン製品だけで十分だった。

結婚については面倒なことしか思い浮かばなかった。
共働きという状況下、物理的・時間的に可能な方が作業すればいい家事も、どうしても私の負担が増えてしまうし、一人だといい加減にしていた食事も、きちんと作らなければならない。仕事が終わって帰宅しても、「家事」という別の仕事が待っている感覚だ。
飲みに行くにしても「行っていい?」と事前にお伺いをたてる。もちろんダメと言われるわけではない。でも、独身の頃のように勤務日数と同じ日数飲みに行くということは雰囲気的に不可能だ。


「将来の夢はお嫁さん」「結婚した~い」なんて、一度も考えたことはなく、なんとなく「将来のこと考えたら結婚しなくちゃいけないかな」という義務感と、「この人を逃したら、私をもらってくれる奇特な人は他にはいない」という大いなる危機感だけが、私を結婚に導いた。


ところが。
いざ結婚してみると予想を遥かに超える楽しい日常が待っていた。

友達との酒の席に存在する爆発的な面白さはなくても、自宅でケーキを食べながら映画を見たり、おかしな歌を口ずさみながら踊ったりする平坦な楽しさ。そして、他には理解されにくい価値観を共有でき、受容される幸せ。
朝、ストーブの前で丸くなりながら新聞を読む私を、夜、眉間に皺を寄せて眠る私を、微笑ましく見つめてくれている人がいる幸せ。ベッドの中、冷たい手をそっと近づけると、何も言わずにぎゅっと握り返して暖めてくれるのは、ライオン製品にはできない芸当だ。

もちろん家事の負担は私の方が多いが、それを差し引いてもなお、主人の寵愛を受けて暮らす日々ということが、こんなに素晴らしいことだとは思わなかった。
取るに足らない些細な日常の積み重ねが愛を産み育んでいくという事実を、独身の頃は想像すらできなかった。


今の私には、子どもを持つということに対して真っ暗な未来しか思い描けない。
ぎゃーぎゃー泣き喚く子どもに優しく接する自信もないし、子どものうんちを扱うことはスカトロプレイに通ずる勢いだ。
先輩ママとなった友達に「大丈夫だよ」と言われるたび、「子どもに興味がない私は異常なんだろうか」と余計に不安になる。

結婚・離婚のように「大人」だけの問題ではなく「子ども」が存在することによって、簡単に「はい、だめでしたー」とはいかない。
責任逃れのようだけど、責任を大いに感じているからこそ、真剣に考えているからこそ、躊躇してしまうのだ。

でも、そんな子どものいる生活も、あんなにいやだった結婚生活同様、実際はじめてみると案外素敵なのかもしれない。
いずれ、このお気楽な夫婦二人だけの生活にピリオドを打つ日がくるのだろうか。そのためにセックスレスライフにもピリオドを打つことになるなら、それもちょっと楽しみである。