やっとたどり着いた金曜の夜。
小さな角砂糖と、檸檬を一絞り入れた琥珀色のラム酒を舐めながら、テーブルの向こうで本を読む夫の顔を眺めていると、不意に涙が頬を流れ落ちた。


職場復帰の日、玄関口まで見送りにきた幼い息子を抱きしめ、くすぐったい涙を流しながら思った。

私はきっと、良いワーキングマザーになれるだろうと。

要領良く、計画的に仕事も家事もこなす。夜は夫と一杯やりながら明日への英気を養い、週末は家族でお出かけを楽しむ。そんな理想的な母親に。

ところが復帰直後の大切な会議の朝、息子が高熱を出した。
子どもを抱えて病院に駆け込み、その足で職場に向かい、米搗きバッタのように同僚や上司に頭を下げた。以来、不意の事態に備えて、人間関係に細心の注意を払いつつ、独身時代の倍の仕事量をこなす生活。それは想像を遥かに超えるストレスと疲労を伴った。早く帰宅しなければならない日などは、同僚からの無言の抗議に胸が押しつぶされそうになった。
物分り良さげに微笑む笑顔の裏にあるかもしれない、彼らの黒い本音が恐ろしかった。
ちょうど独身時代の自分がそうだったように。

心や体、仕事、そして大切な家の中はボロボロになっていった。床には物が散乱し、体はいつも疲れていて、夕食さえ作れない日が増えた。

嫌悪していた「出来合いのお惣菜」がテーブルの上に連日上がった時、自分がぼろ雑巾以下になってしまった感じがして自己嫌悪で死にたくなった。週末はたまった家事をこなすためだけに費やされ、果たしてこんな生活がベストなのかという迷いや、「なんで私だけ」という問いと、「妻なんだから」「母親なんだから」という心の声との葛藤が毎日のように繰り返されていた。

思い描いていた理想の姿と、現実の自分の姿の間には、底が見えない真っ黒な谷底が、ぽっかりと大きく口を開いて哄笑していた。

しかし、「○○さんの奥さん」「□□くんのお母さん」ではなく、固有名詞である自分の名前で生きるのがアイディンティティーという種類の女にとって、心身がどんなに疲弊しても、仕事をし、社会と関わって生きているという充足感、経済的自立をしているという安心感だけはどうしても、どうしても手離すことができない……けれど……


「ごめんね」という言葉が、思わず口からこぼれ出た。

堰を切ったように感情を吐露する私の姿をしばらく眺めていた彼は、言った。
「それは違うよ」と。
「家事をきちんとこなす女性」=「良い妻・良い母」という公式は、必ずしも彼の中では成立していないのだ、と。

そして優しく、穏やかに語り始めた。

ラム酒の香りが鼻腔に充満する。
目の前で話す見慣れた夫の顔がどんどんぼやけ、瞳から溢れる涙は雫となって頬をすべる。

程よい酔いに身を任せ、寝室で眠る天使の髪を撫でながら、夫の言葉を反芻する。
敵は、社会ではない。
自らが作り上げた鉄の鎖に、がんじがらめに縛られて、もがき苦しむ。
敵は、私自身の、心だったのだ。


自分の選択がこれで良いのかという逡巡は、きっとこれからも続くだろう。
けれど、間違いなく、帰宅した私を出迎えるわが子の顔は、どんな瞬間よりも美しく輝いているし、その笑顔は、辛い仕事を抱えた私の心を軽くする魔力を持つ。
そしてその後ろにはいつも彼がいて、私を支えてくれている。